104. 街道を巡る話し合い
「我が国から提案いたしますのは、両国を結ぶ街道の共同整備です。現在も国境を越える商人が利用している道を拡張し、より多くの荷馬車が安定して通行できるようにしたいと考えております」
セレスティアが示した経路は、何もない土地へ新しい道を通すものではなかった。現在も商人が使っている街道を広げ、傷みの激しい場所を補修し、荷馬車同士が無理なく行き違える幅を確保するものであり、雨の多い季節にも通行できるよう整えながら、国境から両国の主要な町までを一つの交易路として繋ぐ計画だった。
使節団の文官が資料を開き、現在の交易について説明を始めた。国境を越える荷馬車の数や扱われている商品だけでなく、季節による通行量の変化や輸送に必要な日数まで調べられている。道が整えば輸送できる量が増え、これまで運送費の問題から国外へ出せなかった商品も扱えるようになるという。
「今回の計画を検討するにあたり、貴国北部の事例についても調査いたしました。街道が整えられたことで人の往来が増え、それに伴って宿や商店、倉庫などが増加したと聞いております」
セレスティアの指が、地図の北部へ移った。
「道を整えることは、現在の交易を便利にするだけではなく、新しい人の流れを生み出す可能性もございます。あの村で起きた変化は、その一例として非常に興味深いものだと考えております」
アリシアは黙って話を聞いていた。
少し前まで自分たちが滞在していた故郷は、確かに大きく変わっていた。以前は顔を知らない者を見つける方が難しかった小さな村へ商人や旅人が行き交い、新しい宿や店、倉庫まで建っている。前に戻った時と比べても往来は明らかに増えており、街道が整えられたことが発展のきっかけになったのは間違いない。
ローゼンはセレスティアの説明が終わるまで口を挟まなかった。資料へ目を通し、地図に描かれた経路を確認してから、ようやく顔を上げる。
「北部について、一つ言っておきたい」
「はい」
「あの村のことは、あまり参考にしすぎない方がいい」
セレスティアがわずかに目を見開いた。
自国で起きた成功を国王自身がそう評するとは考えていなかったのかもしれない。ローゼンは地図の北部へ視線を向けたまま、言葉を続けた。
「私は、あの村を発展させようとして金を渡したわけじゃない。アリシアとエドガーが世話になったことへの礼として渡しただけだ。使い道も村の者たちに任せた」
「その資金を、村の方々が街道の整備へ使われたのですね」
「ああ。村の者たちがそう決めた。その結果、人が増え、商売が増え、今の姿になった。私もあそこまで発展するとは思っていなかったんだ」
北部へ金を渡した時、ローゼンは経済効果を計算していなかった。どの程度人が増えるかも、新しい店が何軒できるかも考えていない。村人たち自身が使い道を決め、街道を整え、その場所の条件と人の流れがうまく噛み合った末に現在の発展がある。
「成功したこと自体は喜ばしい。だが、あれは成功させたんじゃない。結果として成功したんだ」
ローゼンの指が北部から離れ、二つの国の間へ引かれた線へ戻った。
「同じように道を整えれば、同じようなことが起きる。その前提で国の計画を立てるのは危険だと思っている」
「我々も、北部とまったく同じ発展を期待しているわけではございません」
セレスティアはすぐに反論するのではなく、一度言葉を選んでから答えた。
「立地も人口も異なります。北部の事例だけを根拠に、今回の計画が成功すると申し上げるつもりもございません。それでも、道が人と物の流れを変える可能性を示した例ではあると考えております」
「そこは私も否定しない。参考にするなと言っているわけでもないからな」
ローゼンは資料の一枚を手に取った。
「参考にしすぎないでほしい。北部で起きた予想以上の発展は、今回の計画に最初から期待するものではない。その部分を抜いた上でも、この街道を整える意味があるのなら話は別だ」
セレスティアが静かに頷いた。
使節団が用意した資料には、現在の交易量や街道整備後に見込まれる輸送量についても記されている。北部と同じ発展が起きるという期待だけで計画を持ち込んだわけではないことは、ローゼンも理解しているようだった。
「その点につきましては、我が国でも試算を用意しております。現在の交易量だけを基準とした場合でも、道中の負担を減らすことで輸送できる品目を増やせると考えております」
「それなら、その数字はこちらでも確認させてもらおう」
「もちろんです」
ローゼンは資料をレオナードへ回した。
北部の話については、それ以上続けなかった。偶然に恵まれた成功を国家事業の根拠にしないという考えが伝われば十分なのだろう。ここから先は、今回の街道そのものについて考える必要がある。
ローゼンは改めて地図へ目を向けた。
「それより、私はこちらの方が気になっている」
指先が国境から伸びる計画線を辿った。
「この計画は、一本の街道をかなり重点的に整備するものになっているな」
「はい。国境から主要な街道までを安定して繋ぐには、この経路が最も適していると判断しております」
「理由は?」
「輸送時間です」
セレスティアの答えは早かった。
「複数の町を大きく迂回すれば、それだけ商品を運ぶための時間も費用も増えます。我が国が望んでいるのは、貴国との交易を安定させることです。そのためには、まず一本でも年間を通して利用できる道を確保することが重要だと考えております」
セレスティアの立場から考えれば、理にかなっている。
大国であるローゼンの国には大きな市場がある。そこへ商品を短い時間で安定して運べる道が一本通れば、相手国の商人にとって大きな利点になる。いくつもの道へ資金を分け、一つ一つの完成を遅らせるより、最も重要な経路を先に整えた方が効果も分かりやすい。
「短い期間で考えるなら、私もその方が効率はいいと思う」
ローゼンはセレスティアの案を否定しなかった。
「だが、道は一度整えれば何年も使うことになる」
ローゼンの指が計画線から外れ、その周囲に描かれている別の街道へ移った。王都と地方を結ぶ道、町から町へ伸びる道、さらに別の国境方面へ続いている道。地図の上には大小さまざまな線が広がっている。
「十年後、二十年後まで考えた時に、一つの道だけが突出して便利な状態を作っていいのかは考えたい」
セレスティアは黙って聞いている。
「便利な道ができれば、商人はそこを使う。人が増えれば宿も倉庫も店も増えるだろう。そうなれば、さらに人が集まる。北部で実際に起きたことを考えれば、それは十分あり得る」
アリシアは故郷の町並みを思い出した。
道を行き交う荷馬車が増え、それを相手にする商売が生まれ、新しい住民まで増えていた。あの変化を見たばかりだからこそ、ローゼンの言葉が何を意味しているのかよく分かる。
「それ自体が悪いとは思わない。発展する町があるのは良いことだ。だが、国が最初から一本の道へ大きく力を入れれば、人と物の流れをそこへ集めることにもなる」
ローゼンは別の街道を指した。
「今はこちらを使っている商人まで、新しい道へ移るかもしれない。十年、二十年と続けば、街道沿いの町の発展にも差が出てくる。国が自分でその流れを作るなら、目先の交易だけを見て決めるわけにはいかない」
「陛下は、地域によって発展に差が生じることを懸念されているのでしょうか」
「それもある。だが、それだけじゃない」
ローゼンは地図全体へ目を向けた。
「国の交通が一つの道に頼りすぎる形になることも避けたい。道を幾つかで分ける事で双方の国力を底上げしたいんだ」
街道が使えなくなる理由はいくらでもある。大雨で道が傷むこともあれば、橋が壊れることもある。事故で長く通れなくなる場所が出るかもしれない。国境へ続く道であれば、両国の関係が将来も永遠に今のままだという保証もない。
「一本が一番便利だからと、そこへ人も物も集め続ければ、その道に何かあった時の影響も大きくなる。今の効率だけなら一本へ集中する方がいい。それでも長い目で国を見るなら、別の道も使える状態にしておいた方がいいと私は思っている」
セレスティアは地図を見つめたまま、しばらく答えなかった。
使節団の文官たちも口を挟まない。彼らの計画は、国境から先へ一本の安定した交易路を作ることを中心に組み立てられている。ローゼンの考えを取り入れるなら、計画そのものを見直す必要が出てくる。
「複数の街道を同時に整備すれば、完成までに時間がかかります」
「同時に全部を同じ規模で整えろとは言っていない」
「では、今回の街道を整えながら、将来的に別の経路も整備するということでしょうか」
「それも一つの方法だと思う」
ローゼンは計画線の途中から、近隣の別の街道へ繋がる道を指した。
「この一本だけで完結させない形にしたい。周辺の道との接続を考えることもできるし、将来別の経路を整える余地を残してもいい。国境から王都まで一本の太い道を作って終わり、という形にはしたくないんだ」
「我が国といたしましては、まず交易に利用できる一本を早期に確保したいと考えております」
「そこが、こちらとの違いだな」
相手国にとって必要なのは、この国の市場へ繋がる使いやすい道だ。それが一本でも完成すれば目的の大部分は達成できる。ローゼンはその一本だけではなく、その先で十年、二十年と変化していく国内の人と物の流れまで考えている。
どちらかが間違っているわけではない。
見ている範囲が違っていた。
「ですが、陛下のお考えをすべて取り入れた結果、最も重要な街道の整備が不十分になれば、交易量そのものが増えない可能性もございます」
「そうだな。それでは意味がない」
ローゼンはあっさり認めた。
「だから、どこまでこの道を整える必要があるのかを考えたい。そちらが必要とする水準と、こちらが長期的に維持したい交通網。その両方を満たせるところを探すしかないだろう」
セレスティアの表情がわずかに緩んだ。
「承知いたしました。我が国でも、周辺の街道との接続を含めて検討いたします」
「こちらでも考えておく。国境へ続く道を整えること自体には、私も反対していないからな。それに貴国とはより良い関係を今後とも築き上げたいと思っている」
「ありがとうございます。光栄に思います」
その後は街道の維持方法や国境を通過する商人の扱いについて確認し、双方が持ち帰って調べる項目を整理した。地図にはいくつもの印が加えられ、当初一本だけだった計画線の周囲にも、検討すべき道が書き込まれていった。
協議が終わり、使節団が会議室を出た後も、アリシアとローゼンはその場に残った。
長卓には地図が広げられたままで、国境から伸びる一本の線が朝よりも目立たなくなっている。その周囲にローゼンたちが書き込んだ印が増えたためだった。
「北部の話、随分はっきり言ったのね」
「国外で話が大きくなりすぎている気がするんだ」
「成功例として?」
「ああ。成功したのは間違いないよ。村の人たちは上手く使ってくれたと思っている」
ローゼンは地図の北部へ目を向けた。
「でも、私がやったことみたいに言われると困る。金を渡しただけだからな」
アリシアは思わず笑った。
「本当に、それだけだったものね」
「それで町みたいになるとは思わないだろう」
「私だって思わなかったわよ」
それは喜ばしい変化であり、村人たちが自分たちで選んだ結果でもある。
ローゼンは再び国境の街道へ視線を戻した。
「今回は、たまたま上手くいけばいいという話じゃない。国が決めて、国の金を使って、これから長く残る道を作るんだ」
一本を便利にすれば、すぐに得られるものは大きいかもしれない。しかし、その道を十年後にも、二十年後にも使い続けることを考えれば、今の便利さだけでは決められない。
国境を越えて一本の道を繋ぐという話から始まった交渉は、その道をどこまで特別なものにするのかという、新しい争点へ移り始めていた。




