103. アリスの姉、セレスティア第三王女
使節団を迎えた夜、王宮では第三王女一行のための晩餐会が開かれていた。広間には白い卓布を掛けた長卓が置かれ、磨かれた銀器と燭台が整然と並んでいる。高い窓の外には夜の王都が広がり、室内では何十本もの蝋燭が揺れながら客人たちを照らしていた。
アリシアはローゼンの隣に座り、向かい側にいる第三王女へ目を向けた。昼間の出迎えでは国王と王妃として使節団を迎えるための挨拶を交わしただけで、互いにゆっくり話す時間はなかった。正式な晩餐を始める前に、第三王女は改めてローゼンとアリシアへ向き直った。
「改めまして、ご挨拶申し上げます。セレスティア・ウェールズと申します。このたびは我が国の使節をお受け入れいただき、心より感謝申し上げます」
ウェールズ。その名を聞けば、当然アリシアは親友を思い浮かべる。アリス・ウェールズ。今ではノアと結婚している彼女が、第四王女としてこの国へやって来た頃に名乗っていた名前でもある。
「アリシア・クライゼンよ。あなたのことはアリスから少し聞いているわ。お会いできて嬉しいわ、セレスティア王女」
「私もお目にかかれて光栄です、王妃陛下」
セレスティアは丁寧に礼を返した。アリスの姉だと分かって見れば、目元や横顔には確かに妹と似たところがある。それでも、振る舞いから受ける印象は大きく違っていた。
晩餐が始まると、セレスティアはローゼンから王都までの道中について尋ねられ、国境を越えてからの街道がよく整備されていたことを話した。予定より早く王都へ入れたことに加え、道中では何度も商人の荷馬車と行き会ったらしい。今回の訪問目的が交易に関わるためなのか、彼女は移動中にも街道を利用する人々をよく見ていたようだった。
「北部へ向かう街道についても、我が国では以前から調べております。特に、王妃陛下がお暮らしになっていた村には大変興味を持っております」
自分の故郷が話題に上がり、アリシアは手にしていた食器を置いた。国外にまで知られるほど発展していることはすでに聞いていたものの、実際に他国の王女からその話をされると、改めて不思議な感覚があった。
「セレスティア王女は、あの村へ行ったことがあるの?」
「いいえ。私が知っておりますのは、商人から集めた話と報告書に記された内容だけです。王妃陛下は、今の姿になる以前からご存じなのですよね」
「ええ。四年間暮らしていたもの。今よりずっと小さくて、住んでいる人の顔もほとんど分かるような村だったわ」
セレスティアは興味を示したものの、その場で詳しい話を求めてくることはなかった。最近まで北部に滞在していたアリシアから聞けることは多いはずなのに、明日の協議でぜひ聞かせてほしいと告げるだけで話題を収める。歓迎の晩餐と国家間の交渉を分けて考えているところにも、彼女が使節団の代表を任された理由が表れているようだった。
食事が進んでからも、セレスティアは必要以上に自分から話題を広げなかった。ローゼンと話す時には国王に対する礼節を崩さず、使節の一人が話している時には最後まで耳を傾ける。相手の発言を受けてから必要な質問を返しており、王族という立場だけを理由に代表へ選ばれた女性ではないことが、アリシアにも少しずつ分かってきた。
料理が下げられる頃には燭台の蝋燭も短くなり、窓の向こうの王都から見える灯りも減っていた。翌日には正式な協議が控えているため宴は長引かず、ローゼンが客人たちへ挨拶をすると、使節団の者たちは案内役に従って客室へ向かい始めた。
アリシアも広間を出て自室へ戻ろうとしたところで、背後から名前を呼ばれた。振り返ると、少し離れた場所にセレスティアが立っている。同行している使節たちは先で待っており、先ほどまで公の席にいた時よりも彼女の表情はわずかに柔らかくなっていた。
「王妃陛下。一つ、お尋ねしてもよろしいでしょうか」
「ええ。何かしら」
「アリスは元気にしておりますか?」
昼間に王宮へ到着してから、セレスティアが妹の名前を出したのは初めてだった。晩餐の席でも触れなかったため、アリシアは姉妹の間に何かあるのかとも考えていたが、公の場へ私的な話を持ち込まなかっただけらしい。
「元気よ。ノアとも仲良くしているわ。結婚しても相変わらずだから、見ているこっちが驚くこともあるくらい」
アリシアが答えると、セレスティアは少し笑った。妹の性格を考えれば、結婚した程度で急に大人しくなるとは思っていなかったらしい。その反応には、昼間から見せていた外交使節としての姿とは違う、アリスを昔から知る姉らしさが滲んでいた。
「昔からあんな感じだったのかしら?」
「ええ。興味を持ったことがあれば、自分で確かめなければ気が済まない子でした。欲しいものがあれば欲しいと言いますし、好きなものは好きだとはっきり言います」
ノアへ一目惚れし、自分から何度も近づいた末、人前で口づけまでしたアリスを思い出せば、アリシアにも容易に想像できる。第四王女としてこの国へ来た後も、彼女の根本的なところは幼い頃から変わっていないのだろう。
「あなたはアリスとは随分違うのね」
「姉妹でも、考え方まで同じにはなりません。アリスには、あの子に合った生き方がありますから」
セレスティアは妹の選択を責める様子を見せなかった。アリスは第四王女としてこの国へ送り出され、当初はローゼンとの婚姻によって両国を結ぶことを期待されていた。それでもノアを選び、この国に残った妹について、姉はその人生を否定していない。
アリシアには、その態度が少し意外だった。王族としての役割を重んじるセレスティアなら、役目とは違う道を選んだアリスに思うところがあるのではないかと考えていたからだ。けれど彼女は妹を羨む様子もなく、自分の生き方をアリスへ重ねようともしなかった。
「私は王女として生まれたことを、不幸だと思ったことはありません。国同士の関係が良くなれば、商人は安心して国境を越えられます。物が行き交えば、それによって暮らしが良くなる人もいるでしょう。私は、そのために自分ができることをするのが嫌いではないのです」
セレスティアの視線はまっすぐアリシアへ向いていた。王族だから国に尽くさなければならないと自分へ言い聞かせている様子ではなく、自分の立場を理解した上で、その中に自分なりの役割を見つけていることが伝わってくる。
アリシアは、以前ローゼンへ伝えた言葉を思い出していた。自分にも選ばせてほしかった。四年前、守るという理由で何も知らされないまま人生を変えられたことに対して、ずっと抱えていた思いだった。
自分で選ぶということは、誰もが同じ方向へ進むことではないのだろう。アリスはノアと生きる道を選び、セレスティアは王女として国のために働く道を選んでいる。二人が違う場所に立っているからといって、どちらかが望まない人生を送っているとは限らない。
「あの子が自分で選んだ場所で幸せに暮らしているのであれば、姉としては嬉しく思います」
そこでセレスティアを客室へ案内する者が近づいてきた。彼女はアリシアへ時間を取らせたことへの礼を述べると、姿勢を整えて改めて向き直った。
「明日はよろしくお願いいたします、王妃陛下」
「ええ。こちらこそ」
「良い話し合いができることを願っております」
セレスティアと別れたアリシアが自分たちの部屋へ戻ると、ローゼンは卓上に広げた地図を確認していた。国境から王都へ続く道や周辺の町が書き込まれ、その脇には翌日の協議に使う資料が何冊も重ねられている。
アリシアはローゼンの向かいへ腰を下ろし、セレスティアと話した内容を簡単に伝えた。ローゼンも晩餐会での様子から、相手国が王族という肩書きだけで彼女を代表に選んだわけではないと考えているらしい。
「明日は簡単にはいかなさそうね。相当頭の切れる人だと思うわ」
ローゼンは地図の上に置いていた資料を閉じた。北部の村で起きたことを別の場所でも再現できるのか、この国が相手国の望む街道へ財を投じるだけの価値があるのか。明日の協議では、相手の提案を聞いた上で一つずつ確かめていくことになる。
翌朝、王宮の会議室には国境周辺を描いた大きな地図が広げられていた。高い窓から差し込む朝の光が長卓を照らし、その両側には両国の代表者が向かい合って座っている。壁際には必要な資料を運ぶ文官たちが控え、昨夜の晩餐会とは違う緊張が室内を満たしていた。
ローゼンは国王として中央の席につき、アリシアとレオナードがその隣に座った。向かい側の中央にはセレスティアがおり、彼女の前には国境周辺の地図と何冊もの資料が整えられている。
昨夜、妹について話していた時に見せた柔らかな表情は消えていた。セレスティアは自国を代表する第三王女としてローゼンを正面から見据え、ローゼンもまた国王としてその視線を受け止める。
「では、そちらの提案を聞こう」
ローゼンの言葉を受け、セレスティアが地図へ手を伸ばした。
両国を結ぶ新たな街道を巡る交渉が始まったのだった。




