10. 久しぶりの王宮
次話からは新キャラが登場する予定です。
四年ぶりに目にした王宮は、どこか懐かしかった。
白い石壁は記憶のまま陽光を受けて輝き、手入れの行き届いた庭園では色とりどりの花が風に揺れている。噴水の水音も、回廊を吹き抜ける穏やかな風も、幼い頃から何度も歩いた景色とほとんど変わっていない。衛兵たちは規律正しく門を守り、庭師は剪定ばさみを動かし、侍女たちは忙しそうに廊下を行き交っている。そのどれもが、王宮らしい日常だった。
けれど、その景色を眺めるアリシアの胸中は穏やかではない。
最後にこの場所を去ったのは、あの朝だった。
そして、まさか四年後、一児の母となって再びこの門をくぐることになるなど、あの日の自分は想像すらしていなかった。
しかも、自分の意思ではない。
隣ではローゼンが何事もなかったかのような顔で歩いている。思い出しただけで腹が立ち、アリシアはじろりと睨みつけた。
「それで?」
ローゼンは視線だけを向ける。
「何だ?」
「何だ?じゃないわよ。随分とご無沙汰だったけれど、今まで何をしていたの?」
「王をしていた」
あまりにも真面目な返事に、アリシアはぴくりと眉を動かした。
「そういうことを聞いているんじゃないの!」
思わず声が大きくなる。
「迎えに来るつもりならもっと早く来られたでしょう?逆に来ないなら、そのまま来ないという選択だってあったはずよ。それなのに、どうして今なのよ!」
ローゼンは少しだけ歩みを緩めた。
「……探していた」
「え?」
「王になる前から、ずっと君を探していた」
淡々とした口調だったが、その一言だけは嘘には聞こえなかった。
「君が王宮を去ってから、足取りがまるで掴めなかったんだ。王都も、その周辺も、人を使って何度も探した」
アリシアは不思議そうに首を傾げる。
「でも、おかしくない?」
「何がだ」
「だって、毎月届いていたもの」
ローゼンが立ち止まる。
「……届いていた?」
「仕送りよ。子ども服とか、毛布とか、赤ちゃん用のおもちゃとか。妊婦用の服まで送られてきたわ」
ローゼンは目を見開いた。
「何だと……?」
「最初は断ろうと思ったんだけど、送り返す方法も分からなかったし、お金はほとんど使わなかったけれど、物資だけはありがたく使わせてもらったわ。特に冬物は助かったの」
ローゼンは何も言わなかった。
ただ、信じられないというようにアリシアを見つめている。
「送り主は宰相様だったわ」
「……誰だ」
「レオナード・ヴァルディスさんって……」
ローゼンの表情が一変した。
「レオナードだと……?」
低く漏れた声には、驚きがそのまま滲んでいた。
「何故あいつの名前が出てくる」
「え?」
「何故レオナードなんだ」
あまりにも予想外の反応に、今度はアリシアの方が戸惑っていた。
「えっ……貴方、もしかして知らなかったの?」
「初めて聞いた。そんな報告は一度も受けていない」
その言葉には迷いがなかった。演技をしているようにも見えない。本当に何も知らない者だけが浮かべる驚きだった。
「じゃあ……あれは誰の判断だったの?」
誰に聞かせるでもない呟きだった。
二人が立ち止まっている間にも、一行は王宮正面玄関へ到着する。巨大な扉が音もなく左右へ開かれ、赤い絨毯が奥まで真っ直ぐ伸びていた。その両側には使用人たちが整列し、一糸乱れぬ動きで頭を下げる。その光景は昔と変わらないはずなのに、今日だけはどこか張り詰めた空気が漂っていた。
そして、その列の中央には、一人の壮年の男が静かに立っていた。
灰色の髪をきっちりと整え、隙一つない礼服を身に纏った男は、一歩前へ進み出ると、まずローゼンへ深く一礼する。
「お帰りなさいませ、ローゼン様」
続いて、その視線がゆっくりとアリシアへ向けられる。
「そして、お久しぶりでございます。アリシア様」
穏やかな微笑みは、四年前と少しも変わっていない。
「宰相、レオナード・ヴァルディスがお迎えに参りました」
その名を聞いた瞬間だった。
ローゼンの表情から穏やかさが消える。
先ほどまで驚いていた瞳には、今度は抑え切れない怒りが宿っていた。
レオナードはその変化に気付いているはずだった。それでも微動だにせず、静かに頭を下げたまま立っている。
玄関ホールを包む空気が、一瞬にして張り詰めた。
無言のままレオナードとの距離を詰める。 次の瞬間には礼服の胸元を力強く掴み上げ、ぐっと引き寄せていた。
「どういうことだ、レオナード!!」
突然の出来事に使用人たちは息を呑み、近衛騎士たちも一斉に身構えた。しかし誰一人として飛び出そうとはしない。ただ固唾を呑みながら、二人を見守ることしかできなかった。
「貴様……アリシアの居場所を知っていたな!」
レオナードは胸ぐらを掴まれても表情を変えない。
「はい。存じ上げていました」
「知っていて何故報告しなかったんだ!!」
怒声が高い天井へ反響する。
それでもレオナードは慌てることなく、静かにローゼンを見返した。
「ご報告すれば、ローゼン様は必ず妃殿下のもとへ向かわれたでしょう」
ローゼンの手へさらに力が入った。
「当たり前だ!アリシアは俺の……俺の……!」
その勢いにもレオナードは動じなかった。
「だからです。当時のお二人を、再び会わせるべきではないと判断いたしました」
「何だと……?」
「理由は申し上げられません。今、この場で私がお話しできることではございません」
「それで納得できると思うのか!」
「思っておりません」
即答だった。
「ですが、それでも申し上げられません。ただローゼン様なら心当たりがあるのではないでしょうか?」
ローゼンはレオナードの服を放す。
目の前の男は昔からこうだった。一度口を閉ざすと、どれだけ問い詰めても決して考えを曲げない。
一方のアリシアは、ただ二人を見つめることしかできなかった。
全くもって何が起きているのか分からなかった。
ローゼンは自分を探していたと言う。
レオナードは居場所を知っていたと言う。
四年間、自分が信じてきたことが、少しずつ音を立てて崩れていくようだった。
そんな重苦しい空気など気にも留めず、小さな声が玄関ホールへ響く。
「わあ……」
エドガーだった。
大理石の床を見たり、高い天井を見上げたりしながら、きょろきょろと辺りを見回している。
「ひろーい!」
近衛騎士の隊長と手を繋いだまま、嬉しそうに声を上げる。
「おうちよりおっきい!」
その無邪気な一言に、張り詰めていた空気がほんの少しだけ緩んだ。
レオナードもようやくエドガーへ目を向ける。
「こちらが……」
その表情が一瞬だけ柔らかくなった。
「初めまして、エドガー様」
「おじさん、だあれ?」
「王宮で働いております、レオナードと申します」
「ふーん!」
エドガーは興味津々でレオナードを見上げると、今度は壁へ飾られた巨大な肖像画を指差した。
「あれ、だれ?」
「先代の国王陛下でございます」
「すごーい!おじさんと似てるー!」
完全に観光気分だった。その姿を見ていたアリシアは思わず額へ手を当てる。
「エド……少し静かにしなさい」
「はーい!」
返事だけは立派だった。
しかし次の瞬間には赤い絨毯を興味深そうに眺め始めている。
ローゼンも一度だけ息を吐き、レオナードの胸ぐらから手を離した。
怒りが収まったわけではない。
今ここで問い詰め続けても、答えが返ってこないことだけは理解したのだ。
乱れた礼服を整えながら、レオナードは静かに頭を下げる。
「仕送りにつきましては、私の判断で続けておりました」
その言葉にアリシアが顔を上げる。
「やっぱり……」
「妃殿下が生活に困ることだけは避けたかった。それだけでございます」
「私はまだ妃じゃ……」
「恐れながら、私達は貴方様を妃同然だと思っております。どうかお許しを」
ローゼンはゆっくりとレオナードを見る。
「俺には一切知らせずに、か」
「左様でございます」
それ以上は何も言わなかった。
レオナードは二人へ改めて一礼した。
「立ち話で済ませる内容ではございません。応接室をご用意しております」
その言葉にローゼンは無言で頷いた。
アリシアはまだ戸惑いを隠せないまま、息を吐く。
四年間、自分が思い込んでいたことは、本当にすべて正しかったのだろうか。
その答えは、まだ誰の口からも語られていなかった。




