二話 森の薬師
森の中を吹き抜ける風は、どこか優しかった。
木漏れ日が揺れ、鳥たちのさえずりが遠くから聞こえてくる。
七瀬はリュカの半歩後ろを歩いていた。
突然知らない世界へ来てしまった不安は消えない。
それでも、目の前を歩く青年の落ち着いた背中を見ていると、不思議と焦りは少しずつ和らいでいった。
リュカは歩く速さを決して変えない。
いや、正確には七瀬に合わせていた。
小柄な七瀬が歩きやすいように…
その気遣いに気づいた七瀬は、小さく口を開いた。
「……あの。」
リュカが振り返る。
「はい。」
「歩くのが遅くて、申し訳ありません。」
するとリュカは少し驚いたように目を瞬かせ、それから柔らかく笑った。
「いいえ、僕が勝手に合わせているだけですから、お気になさらないでください。」
「森はゆっくり歩くくらいが、ちょうどいいんですよ。」
その言葉に、七瀬は少しだけ肩の力が抜けた。
「ありがとうございます。」
「こちらこそ。」
短いやり取りだった。
けれど、それだけで沈黙は気まずいものではなくなった。
しばらく歩くと、リュカが道端で足を止める。
しゃがみ込み、小さな白い花を見つめた。
「……今年も咲いていましたか。」
そう呟くと、指先でそっと花びらに触れる。
七瀬も近づいて覗き込んだ。
「かわいいお花ですね。名前があるんですか?」
リュカは頷く。
「はい。シェルフィアという花です。」
「春の終わりにだけ咲く、とても繊細な花なんですよ。」
「薬にもなるんですか?」
気になった事を聞いてみる。
「熱を下げる薬の材料になります。」
「ただ…」
リュカは困ったように微笑む。
「花を摘んでしまうと、来年咲く数が減ってしまいます。ですから、本当に必要な時しか採りません。」
七瀬はその花を見つめた。
小さな命を大切にする。
そんな当たり前のことを、この青年は当たり前にできる人なのだと思った。
再び歩き始める。
その時、
ふわり、と七瀬の肩に、小さな光が舞い降りた。
「……え?」
光は蝶ほどの大きさだった。
青白く輝きながら、七瀬の周りを楽しそうに飛んでいる。
「きれい……。」
七瀬は思わず手を伸ばく。
すると光は逃げることなく、指先へちょこんと止まった。
まるで挨拶をするように。
「……。」
リュカの足が止まる。
その光を見つめる瞳に、わずかな驚きが浮かんだ。
(精霊……。)
しかも、人を怖がるはずの光の精霊が、自ら近づいている。
そんな光景を見たことがなかった。
七瀬は首を傾げる。
「この子は……虫、ですか?」
リュカは一瞬迷った。
本当のことを話すべきか…けれど、隠す理由もない。
「……精霊です。」
「精霊?」
「はい。この森には、たくさんの精霊が暮らしています。」
七瀬は目を丸くした。
「じゃあ、この子も……。」
「ええ。光の精霊ですね。」
七瀬は嬉しそうに微笑んだ。
「初めまして。」
小さくそう話しかけたその瞬間…
精霊は嬉しそうにふわりと宙を舞い、七瀬の周りをくるくると飛び回った。
リュカは思わず目を見開く。
(そんな……。)
精霊は人の言葉を理解する。
けれど、自分からこれほど懐くことは滅多にない。
まして初対面など…あり得ない。
しかし七瀬は何も知らない。
ただ、楽しそうに笑っているだけだった。
「かわいいですね。」
「はい。」
リュカも自然と笑みを浮かべる。
「どうやらナナセさんを気に入ったようです。」
「そうなんでしょうか?」
「きっと。」
その言葉に、七瀬は少し照れたように笑った。
やがて森が開け、小さな木造の家が姿を現す。
石造りの煙突からは、細く白い煙が上がっていた。
庭には色とりどりの薬草が整然と植えられ、その一角には季節の花々も咲いている。
「ここが、僕の家です。」
リュカはどこか照れくさそうに言った。
「大きな家ではありませんが……どうぞ。」
玄関の扉を開ける。
中から、乾いた薬草と木の香りがふわりと流れてきた。




