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【第一章:精霊の森】  作者: 蒼雪
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一話 迷い人


鳥のさえずりが聞こえる。

頬を撫でる風は、少し冷たくて心地よかった。


ゆっくりと目を開ける。


青い空

見たことのない木々

草の匂い

土の温もり


「……え。」


身体を起こし、辺りを見回す。


森だった。夢ではない。

手のひらで土を触れる…冷たい。

草を握る…感触がある。


胸が少しずつ早鐘を打ち始めた。


「ここは……。」


ポケットからスマートフォンを取り出す。

画面は真っ暗なまま。

何度押しても反応しない。


「そんな……。」


どうして?


何が起きたのか。

何も分からない。

不安が胸いっぱいに広がる。


その時だった。


森の奥から、葉を踏む音が聞こえた。


カサ……カサリ


私は息を呑み、音のする方へ視線を向ける。


木々の間から、一人の少年…いや、青年が姿を現した。


陽の光を受けたシルバーグレージュの髪が、風に揺れる。

深いオリーブグリーンの瞳

白いシャツに深緑のローブ

腰にはいくつもの革のポーチ

背には細身の杖


青年は私を見つけると、一瞬だけ驚いたように目を見開いた。

けれど、すぐに穏やかな表情へ戻る。


一定の距離を保ったまま、小さく頭を下げた。


「初めまして。」

落ち着いた、優しい声だった。


「突然声をおかけしてしまい、申し訳ありません。」


慌ててこちらも頭を下げた。

「い、いえ……。」


青年は安心させるように微笑む。

「僕はリュカ・エルヴェインと申します。この森で薬師をしております。」


その物腰は柔らかく、どこか育ちの良さを感じさせた。

少しだけ緊張が和らぐ。


「私は……七瀬と申します。」


どう見ても日本人ではない青年。

悩んだ末、下の名前だけ名乗る事に。


「ナナセ?さん、ですね。」

リュカはその名前を大切に確かめるように頷いた。


「お怪我はありませんか?」


「はい…たぶん…」


「それは良かったです。」

穏やかに微笑む。


しかしその瞳は、七瀬の服装を静かに見つめていた。


見たことのない布地。

見たことのない靴。

見たことのない鞄。

そのすべてが、この国のものではない。


リュカは少しだけ考えるように視線を落としたあと、丁寧に尋ねた。


「失礼ですが…どちらから来られたのでしょうか。」


七瀬は困ったように首を横へ振る。


「私にも…分からないんです。気づいたら、この森にいて…」

「ここがどこなのかも分からなくて……」


声が震える。


涙がこぼれそうになるのを、必死にこらえた。


リュカは何も聞かなかった。

ただ静かに、七瀬の言葉を受け止める。


やがて彼は、小さく息をついた。


「……そうでしたか。」


その表情には、驚きよりも心配が浮かんでいた。


「それでしたら。」


リュカは一歩だけ近づく。


けれど、それ以上は近づかない。

七瀬が怖がらないように。

その距離を大切にするように。


「もしよろしければ、僕の家へいらっしゃいませんか?温かいお茶をご用意いたします。」


「それから、ゆっくりお話を伺えればと思います。」


穏やかな表情で声だけをかける。


選ぶのは七瀬自身。

七瀬はじっと足元を見つめる。


初めて会った人。

けれど、不思議だった。

この人なら、信じてみたい。


そんな気持ちが、自然と胸に浮かぶ。


七瀬はゆっくりと、顔をあげた。

「……よろしくお願いいたします。」


その言葉に、リュカは少しだけ目を細める。

「はい。こちらこそ、よろしくお願いいたします。」


その瞬間。


二人の間を、柔らかな風が吹き抜けた。


木々の葉が揺れ、小さな光が一粒だけ舞い上がる。

リュカはその光を見つめ、ほんの一瞬だけ驚いたような表情を浮かべる。


精霊が、人間に近寄っている。

しかも、あれほど嬉しそうに。

精霊は人の感情に敏感だ。


その精霊があそこまで近づくと言う事は…



リュカは不思議な少女を警戒していない訳ではなかった。

元より信じてみたい気持ちがあったのだが、その気持ちが更に強まった出来事になった。


けれど、この事はすぐに胸の内にしまった。

今、必要なのは答えではない。

とりあえず不安であろう、少女が安心できる場所だ。


そう思い直したリュカは、穏やかに微笑む。

「参りましょう、七瀬さん。」


七瀬は静かに頷いた。


そして二人は、精霊の森の奥へと歩き始める。



この出会いが、世界の運命を変える旅の始まりになることをまだ誰も知らない。

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