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第四話 『はじめての催眠』



「……でさ、その教授がめちゃくちゃ早口で」


『あー、いるいる。説明が高速すぎて内容入ってこないタイプ』


パソコン画面の向こうで、ちーちゃんが笑う。


久々のビデオ通話だった。


ショー会場では毎週会っているのに、こうして一対一で話すのはかなり久しぶりな気がする。


しかも。


映っている背景が妙に落ち着かなかった。


白い棚。

小さな観葉植物。

柔らかい照明。

ベッドの端に置かれたクッション。


いかにも“女の子の部屋”という感じで、なんだか変に緊張する。


「……なんか、お前の部屋ちゃんとしてんな」


『なにそれ』


ちーちゃんが笑う。


『君の中で私どんなイメージなの』


「もっと散らかってるかと」


『失礼だなあ』


笑いながら、ちーちゃんはマグカップを手に取った。


その自然な仕草を見ているだけなのに、なぜか少し落ち着かない。


『あ、そうだ』


ちーちゃんが思い出したようにこちらを見る。


『次のショー、催眠テーマにしようと思ってるんだよね』


「催眠?」


思わず聞き返す。


『うん。軽いやつだけど』


『被暗示性とか、イメージ誘導とか』


「へえ……」


正直、

半分くらいはエンタメだと思っている。


テレビとか動画で見る催眠なんて、大体オーバーだ。


『でも私、人にちゃんとかけたことないんだよね』


「お前でもないの?」


『心理誘導と催眠って、近いけどちょっと違うから』


ちーちゃんは少し困ったように笑った。


『だからさ』


少し間。


『試しに協力してくれない?』


「え?」


『被験者』


「俺?」


『うん』


画面越しに目が合う。


昔からそうだ。


ちーちゃんは、

こういう時だけ妙に真っ直ぐ見る。


『まあ、無理にとは言わないけど』


「……いや」


少し考えてから肩をすくめる。


「まあ、お前相手なら別にいいけど」


『ほんと?』


ちーちゃんが少し嬉しそうに笑う。


『じゃあまず、めちゃくちゃ簡単なのからね』



『じゃあまず、両手組んでみて』


「こう?」


『うん』


ちーちゃんは画面の向こうで、自分も同じように手を組む。


『で、人差し指だけ立てて』


「なんか儀式っぽいな」


『まあ見てて』


ちーちゃんの声が、少しだけゆっくりになる。


『そのまま指先見て』


『だんだん、磁石みたいに引っ張られてく感じ想像してみて』


「はいはい」


半分笑いながら従う。


『近づくかなーって思うだけでいいから』


『無理に動かさなくていい』


少し間。


『……どう?』


「いや別に――」


言いかけて止まる。


指先が、

少しずつ近づいていた。


「……あれ?」


ちーちゃんが吹き出す。


『え、かわいい』


「いや待て待て、これ普通に力入ってるだけだろ」


『でも今、自分で寄せようとしてないでしょ?』


「……まあ」


『“そうなるかも”って思うと、人って結構引っ張られるんだよね』


ちーちゃんは、どこか楽しそうだった。


『じゃあ次』


「まだやるのか」


『今ちょっと、“え?”ってなったでしょ』


『そのくらいが一番入りやすいんだよ』


「いや、入るっていうか……」


言い返しながらも、

少し気になっている自分がいる。



『じゃあ今度は深呼吸してみよっか』


「急にそれっぽくなったな」


『催眠って、まず力抜ける方が大事だから』


ちーちゃんは、自分もゆっくり息を吸う。


『吸ってー』


『吐いてー』


つられるように呼吸を合わせる。


『うん、そんな感じ』


『じゃあ肩の力抜いて』


『ソファとか椅子に、体預ける感じ』


言われるまま少し背中を預ける。


『で、ぼーっと画面見てていいから』


『ちゃんと集中しようとしなくていい』


静かな声だった。


ショーの時より近い。


観客もいない。


だからか、

変に意識してしまう。


『今、“これ本当にかかるのかな”って考えてる?』


「……まあちょっと」


『でも同時に、“ちょっと面白いかも”とも思ってる』


「……」


『図星っぽい』


「なんでわかるんだよ」


『顔』


ちーちゃんが笑う。


でも、

その笑い方が妙に安心する。


『催眠ってね』


『“操られる”というより、“自分で入りやすい状態になる”に近いんだよ』


『だから怖がらなくて大丈夫』


少し間。


『今も、呼吸合わせてるうちに、ちょっとぼーっとしてきてるでしょ』


「……まあ、少し」


『うん』


『じゃあそのまま、ゆっくりでいいから』


ちーちゃんの声が、

さらに柔らかくなる。


『目、閉じてもいいし』


『閉じなくてもいい』


『ただ、楽な方選んで』


気づけば、

さっきより考える量が減っていた。


部屋も静かだ。


聞こえるのは、

パソコンの小さなノイズ音と、

ちーちゃんの声くらい。


『人って安心すると、考えるより感じる方が楽になるんだよね』


『今、ちょっとそんな感じ』


「……なんか、頭ぼんやりするかも」


『うん』


ちーちゃんは、

どこか嬉しそうに頷いた。


『ちゃんと入ってきてる』


その声を聞いた瞬間。


少しだけ。


“このまま力抜いてもいいかも”


と思ってしまった。


『……じゃあ、一回戻ろっか』


ちーちゃんの声が、

少しだけ明るくなる。


『頭のぼんやり、ゆっくり戻して』


『深呼吸して』


『肩とか、目の周りとか、少し動かしてみて』


言われるまま軽く身体を動かす。


不思議と、

本当に少しぼんやりしていた。


「……なんか変な感じ」


『ふふ』


『ちゃんと力抜けてたね』


「いやでも、これ催眠っていうかリラックスじゃない?」


『まあ最初はそんな感じだよ』


ちーちゃんは笑いながらマグカップを持ち直した。


『いきなり“あなたは眠くなる~”みたいなのは、私もあんまり好きじゃないし』


「わかる」


思わず頷く。


「なんか雑なんだよな、あれ」


『あははっ』


『君ほんとそういうの厳しいよね』


「だって、信頼関係とか空気とか大事じゃん」


「急に催眠!って言われても、“いやなんで?”ってなるし」


ちーちゃんは、

少しだけ驚いたように目を丸くした。


『……へえ』


「なに」


『いや』


少し笑う。


『君って、“催眠そのもの”より、“そこへ行く過程”が好きなんだなって』


「……まあ」


図星だった。


ちーちゃんは、

どこか納得したように頷く。


『だから、ちゃんと安心すると入りやすいんだ』


「いや、別に入りやすくは――」


そこまで言って、

止まる。


ちーちゃんが、

少し悪戯っぽく笑ったからだ。


『でもさ』


『今の君って、かなりいい状態なんだよね』


「え?」


『一回ちゃんと力抜けて』


『“あ、こういう感じか”って覚え始めてる』


『しかも』


ちーちゃんは、

画面越しにこちらを見る。


『私相手だから、警戒もかなり下がってる』


「……」


『だから今』


少しだけ声が静かになる。


『深く落ちるよね』


その瞬間だった。


思考が、

一気に沈む。


「……っ、え」


さっきまで普通に喋っていたはずなのに。


急に、

頭の中へ柔らかい膜がかかったみたいになる。


呼吸がゆっくりになる。


ちーちゃんは、

その反応を見て目を丸くした。


『……え、うそ』


『今ので入った?』


「なんか……急に……」


『わ、すご』


ちーちゃんは、

半分驚き、

半分面白がっている顔だった。


『条件付けっぽくなってる』


「じょうけん……?」


『“深く落ちる”って言葉と、さっきの感覚が繋がったんだ』


ちーちゃんは、

少し笑いながらも、

明らかに興味が強くなっていた。


『……これ、ショーで使ったら絶対面白いじゃん』


その声を聞きながら。


俺は、

またゆっくり、

思考が沈んでいくのを感じていた。


ちーちゃんは、

画面越しにこちらを見ながら、

少しだけ息を飲んでいた。


思った以上に、

反応が素直だったからだ。


『……ほんとに入るんだ』


小さく呟く。


しかも、

ただぼーっとしているだけじゃない。


“深く落ちる”という言葉に、

ちゃんと反応して沈んでいる。


ちーちゃんは、

少しだけ迷ったあと。


悪戯っぽく笑った。


『……せっかくだし、ちょっと遊ぼっかな』


静かな声。


『今、すごく素直に言葉入る状態だから』


『だから、一個だけ軽い暗示入れるね』


ぼんやりした意識の中で、

その声だけが近く聞こえる。


『これから、私が君を褒めると』


『なんかちょっと嬉しくなって』


『少しだけ得意げになる』


『“へへ、そうでしょ”みたいな感じ』


ちーちゃん、

途中で少し吹き出しそうになる。


『しかも、自分では自然だと思ってる』


『だから別に変な感じもしない』


『ただ、褒められると、ちょっとだけ誇らしくなるだけ』


くすっと笑う。


『で、この話は一回忘れていいからね』


『ただ自然にそうなるだけ』


ちーちゃんは、

一度深呼吸してから、

少しずつ声のトーンを戻した。


『じゃあ、そろそろ戻ろっか』


『頭のぼんやり、ゆっくり晴れてくる』


『深呼吸して』


『体の感覚戻して』


『三、二、一』


『はい、おかえり』


「……ん」


ゆっくり目を開ける。


頭が少し重い。


でも、

嫌な感じじゃない。


「なんか……不思議だな」


『ふふ』


ちーちゃんは、

まだ少し楽しそうだった。


「でも確かに、お前うまいかも」


『え、ほんと?』


「まあ、安心感あるし」


『へえー』


ちーちゃんは、

そこでわざと少し優しく笑った。


『でも今日の君、かなり反応良かったよ』


『普通もっと警戒するもん』


その瞬間。


「へへ、そうでしょ」


言ってから、

自分で少し止まる。


「……あれ?」


ちーちゃん、

数秒固まってから、

一気に吹き出した。


『っ、あははははっ!!』


「な、なんだよ!?」


『いや、だって今……!』


笑いすぎて肩が震えている。


『めちゃくちゃ自然にドヤった……!』


「え?」


『“へへ、そうでしょ”って!』


「いや……え?」


自分では、

普通に返したつもりだった。


でも。


ちーちゃんは、

完全にツボに入ったらしく、

笑いが止まらない。


『だめ、かわいい……!』


「なんでだよ!?」


『いや、本人無意識なのが余計面白くて……っ』


画面の向こうで、

ちーちゃんは涙目になりながら笑っていた。


その笑い方が、

妙に楽しそうで。


気づけば俺も、

少しだけつられて笑っていた。


『……はー、だめ、ほんと面白い』


ちーちゃんは、

笑いを落ち着かせながら息を吐いた。


「いや、だから何なんだよ」


『ふふっ』


『ちゃんと理由あるよ』


ちーちゃんは、

少しだけ姿勢を正す。


『さっき、落ちてる時に軽い暗示入れたんだよね』


「暗示?」


『うん』


『“褒められるとちょっと得意げになる”ってやつ』


数秒。


沈黙。


「……は?」


ちーちゃん、

また吹き出しそうになる。


『しかも、“自然だと思う”まで入ってたから』


『君、自分で全然気づいてなかった』


「いやいやいや待て!」


思わず身を乗り出す。


「じゃあさっきの、“へへ、そうでしょ”って……」


『暗示の反応』


「うわああああ!?」


ちーちゃん、

完全に笑いを堪えきれなくなる。


『しかもタイミング完璧だったんだもん!』


「嘘だろ……」


顔が熱い。


めちゃくちゃ恥ずかしい。


でも。


ちーちゃんは、

からかうというより、

本当に楽しそうだった。


『いやでも、かなり綺麗に入ったよ』


『ちゃんと、“褒められる”

→“嬉しい”

→“ちょっと誇らしい”

って流れ作れてた』


「……マジか」


『うん』


ちーちゃんは、

少し感心したように頷く。


『ここまで自然に反応出る人、

結構珍しいかも』


「なんか悔しいんだけど……」


『でもさ』


ちーちゃんは、

そこで少しだけ優しい声になる。


『ちゃんと安心してるから、

入れたんだと思うよ』


「……」


『警戒してたら、

あそこまで素直に反応しないし』


静かな空気。


画面越し。


でも、

不思議と距離は近かった。


ちーちゃんは、

少しだけ悪戯っぽく笑う。


『じゃあ最後、ちゃんと解いとこっか』


「え、残ってんの?」


『一応ね』


ちーちゃんは、

ゆっくりこちらを見る。


『さっき入れた暗示は、ここで全部終わり』


『褒められても、

もう自然にドヤったりしない』


『ただ、

“ちょっと楽しかったな”

って感覚だけ残る』


その言葉を聞いた瞬間、

頭の奥にあった妙な感覚が、

ふっと軽くなる。


『で、今まで入れてた暗示の内容も、

ちゃんと思い出していい』


『どういう流れだったか、

自然に整理できる』


少し間。


「……あー」


思い出す。


褒められると、

得意げになる。


そういう暗示だった。


「うわ、ほんとに入ってたんだ……」


『ね?』


ちーちゃんは、

満足そうに笑った。


『いやー、でもこれ』


『ショーでやったら絶対盛り上がるなあ』


「おい」


『ふふっ』


画面越しに笑うちーちゃんを見ながら、

俺は深くため息をついた。


……でも。


不思議と、

嫌な気分ではなかった。


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