第十話 『再会』
## 第十話 『再会』
社会人になってから。
時間の流れは、
驚くほど早かった。
朝起きて。
会社へ行って。
帰って。
寝る。
その繰り返し。
最初は、
ただ忙しいだけだと思っていた。
慣れれば大丈夫だと。
みんなこうなんだと。
そう思っていた。
◇
「これ、今日中」
デスクへ書類が置かれる。
時計を見る。
二十二時半。
「……はい」
返事をする。
それしかできない。
上司は、
こちらを見もしない。
「あと前の修正、
全然なってないからやり直し」
「え……でも、確認の時――」
「言い訳いいから」
冷たい声。
周囲も静かだった。
誰も助けない。
いや。
助けられないのかもしれない。
自分の仕事で、
精一杯だから。
終電。
コンビニの明かり。
スマホ画面。
何を見ても、
頭へ入ってこない。
気づけば、
ぼーっと歩いていた。
“消えたいな”
その言葉が、
頭へ浮かぶ。
最初は、
一瞬だった。
でも。
だんだん回数が増えた。
疲れた。
苦しい。
逃げたい。
消えたい。
その繰り返し。
◇
ある日。
会社のトイレで、
急に息ができなくなった。
視界が狭い。
呼吸が浅い。
手が震える。
“やばい”
そう思うほど、
余計苦しくなる。
結局その日は、
早退した。
家へ帰っても、
何もできなかった。
ただ、
天井を見ていた。
スマホが光る。
SNS。
ニュース。
動画。
どれも、
遠い。
その時。
ふと。
昔のショーを思い出した。
心理誘導。
催眠。
“安心すると、人は力を抜ける”
そんな言葉。
自然と、
検索欄へ指が伸びていた。
> 『カウンセリング 心療相談』
いくつか表示される。
正直、
半信半疑だった。
でも。
もう、
何でもよかった。
誰かに、
少しだけでも、
この状態を止めてほしかった。
◇
数日後。
小さなカウンセリングルーム。
白い壁。
観葉植物。
静かな照明。
受付の人に案内され、
ソファへ座る。
心臓が妙にうるさい。
“何話せばいいんだ”
“こんなの甘えじゃないのか”
“もっと大変な人いるだろ”
そんな考えばかり浮かぶ。
「では、どうぞ」
扉が開く。
案内されるまま、
部屋へ入る。
机。
ソファ。
本棚。
そして。
そこに座っていた人を見て。
思考が止まった。
黒髪。
柔らかい声。
少し大人っぽくなった顔。
でも。
間違えるはずがなかった。
「……ちーちゃん?」
その人は、
一瞬だけ目を丸くした。
そして。
ゆっくり笑う。
「……え」
少し困ったように。
でも、
どこか懐かしそうに。
「うそ」
静かな部屋で。
その声だけが、
昔と変わらなかった。
「久しぶり」
数年ぶりの再会だった。
◇
しばらく、
お互い止まっていた。
最初に動いたのは、
ちーちゃんだった。
「あー……」
小さく笑う。
「なるほどね」
「え」
「受付で名前見た時、
どこかで見覚えある気がしたんだよね」
「いやでも、
まさか本当に君とは思わなかった」
ちーちゃんは、
少しだけ肩を揺らして笑った。
昔より、
落ち着いた笑い方だった。
でも。
その空気に、
少しだけ安心する自分がいた。
「……そっか」
ちーちゃんは、
机の上へファイルを置く。
「じゃあ改めて」
少しだけ、
仕事用の柔らかい声になる。
「今日は来てくれてありがとう」
その言葉が。
思ったより、
胸へ刺さった。
来てくれてありがとう。
会社では、
最近そんなこと、
言われた記憶がなかった。
ちーちゃんは、
こちらの反応を急かさない。
昔みたいに、
すぐ読み解こうともしない。
ただ。
静かに待っている。
「……こんな姿、見せたくなかった」
気づけば、
言葉が漏れていた。
ちーちゃんが、
少しだけ目を細める。
「え?」
「……ひどいだろ、今」
自分でもわかっていた。
髪はぼさぼさ。
無精ひげも伸びている。
スーツだって皺だらけだった。
風呂に入る気力すら、
最近はなかった。
最低限、
会社へ行くためだけに動いて。
帰ったら、
そのまま倒れるように寝る。
そんな生活。
「前会ってた頃と、
全然違うし」
笑おうとして。
うまく笑えない。
「ショー来てた頃の俺、
もっとちゃんとしてたのにな」
言ってから、
少し後悔する。
こんなの、
困らせるだけだ。
でも。
ちーちゃんは、
変な顔をしなかった。
引きもしない。
驚きもしない。
ただ、
ゆっくりこちらを見ていた。
「……そっか」
その声は、
すごく静かだった。
「頑張ってたんだね」
その瞬間。
胸の奥が、
少しだけ痛くなる。
「……頑張れてないから、
こうなってるんだろ」
反射的に否定する。
すると、
ちーちゃんは小さく首を振った。
「違うよ」
即答だった。
「頑張ってたから、
限界超えちゃったんだと思う」
静かな声。
責める感じは、
全くない。
「人って、
本当に無理になると」
「お風呂とか、
ご飯とか、
そういう“普通のこと”
からできなくなる時あるんだよ」
「だから今の君、
怠けてるわけじゃない」
少し間。
「ちゃんと、
疲れ切ってる」
その言葉を聞いた瞬間。
何かが、
少しだけ崩れそうになる。
ちーちゃんは、
こちらの見た目を、
一度も嫌そうに見なかった。
ぼさぼさの髪も。
無精ひげも。
目の下の隈も。
全部。
“今そういう状態なんだ”
として受け止めている。
昔みたいに、
心理を読むというより。
ただ、
そこにいてくれる感じ。
「……」
言葉が出ない。
ちーちゃんは、
そんなこちらへ、
柔らかく笑った。
「それに」
少しだけ悪戯っぽく続ける。
「昔から、
無理して平気そうな顔するの、
あんまり上手くなかったし」
思わず、
少しだけ息が漏れる。
笑ったのか。
泣きそうだったのか。
自分でも、
よくわからなかった。
でも。
気づけば。
さっきまでより、
少しだけ呼吸が楽になっていた。




