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後編

 姉サイド


 地下牢での過酷な労働と、石より硬いパンに耐えかねたリリティシャはついに正気を失う。

「あいつのせいよ……あいつが美味しいものを独り占めしているからこんなに惨めなのよぉ!」


 牢番の目を盗み、自分に媚びを売っていた闇商人の残党から一瓶の毒薬を手に入れる。千日の苦悶サウザンド・パインと呼ばれる、一度口にすれば千日間激痛と嘔吐が止まらないという恐ろしい魔毒。

 泥にまみれ、ボロ布を纏ったリリティシャは執念で辺境の離宮へと辿り着く。


 夜更け、カッドウに夜食を振る舞い、二人で仲睦まじく片付けを終えて寝室へ向かった後のこと。


「ヒッヒッヒ……見てなさい。明日の朝、鍋を一口啜ればあんたの幸せは終わりよ……ヒヒヒヒ」


 リリティシャは厨房に忍び込み、明日の朝食用に準備されていた地鶏と干し貝柱の特製薬膳スープの鍋に毒をドボドボと注ぎ込む。

 毒が混ざり、スープが一瞬だけ禍々しい紫色に光ったが、すぐに黄金色の輝きの中へ消えていく。


「クキキキキこれで終わりよ!ざまぁみろ、マイエス!クキキキキイイイ」


 リリティシャはあまりの空腹に鍋の底にこびりついたスープの残りを指で掬ってペロリと舐めた。無意識に。


 翌朝。マイエスが厨房に入るとそこには床に倒れてピクピクしているリリティシャの姿が。


「はぁ?お姉様何をされているんです?」


「うっ……うあああ!体が、体が熱いのよぉ!毒を、毒を飲んだはずなのに!」


 実はマイエスの作る料理は、存在そのものが最強の浄化結界となっていたから、リリティシャが混ぜた魔毒は鍋に入った瞬間に聖女魔力によって分解再構築され、凝縮デトックス成分へと変貌していた。無効化だ。


「あ、熱い!毛穴という毛穴からヘドロが出てくるわぁぁ!」


 リリティシャの体からは地下牢で蓄積された汚れや脂肪、さらにはドロドロとした悪意までが黒い汗となってドバドバと排出されていく。毒を盛ったはずが、料理の力で強制的に健康にされてしまったのだ。


「おめでとうございますお姉様。顔色がとっても良くなって肌もツヤツヤですよ?……不法侵入と毒混入未遂は犯罪ですから、すぐに憲兵を呼びます」


 駆けつけたのは、カッドウ率いる騎士団。そこにはボロボロの服を着ているのに、肌だけは透き通るように白く無駄に健康美に溢れたリリティシャが、縄をかけられて泣き叫んでいた。


「嫌よ牢屋に戻りたくない!もっともっとあのスープを飲ませてぇぇ!」


「残念ながらお姉様のような犯罪者に食べさせる料理はありません……カッドウ様、朝食ができました。今日は毒を分解した成分入りの薬膳スープです」


「……毒?いや、作ったものならそれが何であれ私はいただく」


 カッドウはリリティシャが必死に求めたスープを、目の前で美味しそうに飲み干す。マイエスは今日もカッドウにお代わりを強請られて幸せそうに微笑む。



「素晴らしい。全身に力が漲るようだ。これで今日も百体の魔物を討伐できる」


 健康になりすぎたせいで、地下牢での労働が以前より何倍も捗るようになったリリティシャ。一生衰えることのない元気な体で、永遠に不味いパンを噛み締め続けるという、自業自得を味わうことになった。



 リリティシャが離宮へ逃亡、後に再逮捕した後、取り潰された侯爵家の元子息ファネスは王都のさらに底辺、スラムの吹き溜まりにいた。


「なぜだ……侯爵家の跡取りで聖女の夫になるはずだった男だぞ!」


 端正な顔立ちは見る影もなく頬はこけ、目はぎらぎらとした飢えで血走る。プライドを捨てきれずまともな労働もできないまま、ゴミ捨て場を漁る日々を送っていた。

 夕暮れにスラムの片隅で、ふわりと漂ってきた香ばしい醤油とバターの香りに足を止めた。それは彼のために、当時は愛していたので作ってくれた最高級牛の和風ステーキの香りと全く同じもの。


「マイエス……いるのか!マイエスなのか!?」


 香りに誘われて彼が辿り着いたのは、一軒の高級レストランの裏口。そこでは、経営するビストロ・サンクチュアリから直送された秘伝のソースを使った料理が振る舞われていたのだ。匂いが同じなのは当然。

 裏口に置かれた客の食べ残しが入ったバケツに飛びついた。そこにあったのは冷え切り、ソースがこびりついた一切れの肉の端。

 震える手でそれを口に運んだ瞬間、ファネスの脳内に鮮烈な記憶が蘇る。微笑みながら切り分けてくれた、肉汁溢れる料理と「ファネス様お口に合いますか?」という優しい声。


 噛みしめれば冷えていてもなお、聖女の魔力による浄化が施された素材の旨味は圧倒的で、今の彼にとってはあまりにも眩しすぎる味で。


「ああ……美味い……マイエス、あああああ!」


 しかし、一口を飲み込んだ瞬間、あまりの美味しさに今の自分の惨めさが耐え難い苦痛となって襲いかかる。料理を知ってしまった舌はスラムの腐った粥を食べ物として認識できなくなってしまう。


 それから毎日、レストランの裏口で泣きながら食べ残しを待つように。しかし、マイエスの店が食材を無駄にしないという方針を徹底したため食べ残しすら出なくなる。


「一口でいい……舌の上でとろけるような……マイエスの料理を」


 ファネスは自分が捨てたものが婚約者ではなく、この世で唯一自分を魂から満たしてくれる至福だったことにようやく気付いたが、時すでに遅し。

 盛大な結婚を知らせる号外の紙を握りしめながら、紙から漂う気がするパンの焼き立ての香りを追いかけるようにして、静かに息を引き取る。

 最期まで彼の口に本物の料理は二度と運ばれることはなかった。


 辺境の離宮にてマイエスはカッドウと共に、獲れたての大きな蟹を炭火で焼いていた。


「マイエス、脚の身、一番太いところだ。食べなさい」


「ありがとうございます、カッドウ様!蟹酢に少しだけ柑橘を絞って……んん〜っ、最高!」


 ファネスやリリティシャのことなど、もう話題にすら上がらない。復讐を完遂することではなく、自分を害した者たちの存在すら忘れるほど最高に美味しい人生を謳歌することなのだから。

最後まで読んでくださり感謝です⭐︎の評価をしていただければ幸いです。

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