中編
マイエスが隣にいた頃、何気なく食べていたパンが、いかに奇跡的な美味しさだったかを骨の髄まで理解した。
「マイエス……あいつが、あいつこそが本物だったんだ……俺は極上のフルコースを捨てて残飯を選んだのか」
国王は冷徹に言い渡す。
「偽聖女リリティシャ、婚約者ファネス両名を国家反逆罪と詐欺罪で捕縛する。侯爵家は取り潰しとする」
「そ、そんな!陛下、お待ちください!」
「黙れ。貴様らには地下牢獄の専属味見役を命じる。囚人に出す失敗作のシチューを毎日毒味するのが仕事だ」
数ヶ月後、地下牢の暗がりでファネスとリリティシャは目の前に置かれた何かを見つめていた。具材が溶けてドロドロになり、焦げ臭さと生臭さが同居する灰色のスープ。
「……食べようリリティシャ。食べないと死んでしまう」
「いやよぉ……マイエスのパンが食べたい……ふかふかでほんのり甘いパンが」
二人は涙を流しながら、吐き気をこらえてスプーンを口に運んだ味は、彼らがマイエスに対して行ってきた仕打ちそのものの味がした。
マイエスはそんなことなど構わず美味しいご飯を作っていた。
「今日は奮発してドラゴン肉のステーキ丼!ガーリックバター醤油で!」
ジュウウウゥッ!
熱々の鉄板の上でタレが香ばしく焦げる音。山盛りの白米と一緒に、肉厚のステーキを豪快にかき込む。
「んん〜っ脂が甘い!これぞ生きる喜び!……ん?なんか遠くで誰かが泣いてる気がするけどまあいっか。お肉が冷めちゃう」
幸せそうに咀嚼し、二人のことなど完全に記憶の彼方へと追いやってしまう。辺境の離宮で極上の食を満喫していたマイエス。
あまりの美味しさが口コミで広がり、ついには伝説のレストランを開くことになってしまうなんて。
暇つぶしに振る舞った料理は辺境の冒険者たちを虜にした。熱烈なリクエストにより、離宮の庭を改装してオープンしたのがビストロ・サンクチュアリ。
本日のメインディッシュはコカトリスの挽肉とオーク豚の合挽きハンバーグ特製デミグラスソース。
厨房から漂うのは焦がしバターと赤ワインを煮詰めた芳醇な香り。熱々に熱した鉄板に乗せられて運ばれてきたのは、大人の拳二つ分はあろうかという巨大なハンバーグ。
「お待たせしました。ナイフを入れる時は気をつけてくださいね?肉汁が跳ねますから」
冒険者がナイフを当てると、力を入れる必要もなくスッと刃が沈んでいき切れ目からドワッ!と溢れ出すのは、透明な脂と旨味が凝縮された肉汁の滝。
濃厚な黒褐色のデミグラスソースと混ざり合い、鉄板の上でジュワジュワと食欲をそそる音を奏でる。
口に運べばカリッと焼かれた表面の香ばしさの直後に、フワフワの食感が訪れます。噛むたびに肉の旨味が爆発し、聖女の魔力で育てた甘いタマネギがアクセントとなって鼻を抜ける。
「うめぇ……!なんだこれ口の中で溶けたぞ!?」
「古傷の痛みが消えていく……これが聖女様のメシ!」
料理には全回復や身体強化など精神安定のバフという付与効果がたっぷりとかかっているため、店は連日大行列となる。
一方、王都では食が崩壊したまま。まともな食事を求めて、貴族たちは片道数日かけて辺境へ馬車を走らせる。ビストロ・サンクチュアリの前には高級馬車の列。
しかし、完全予約制かつ会員制という鉄の掟を敷いていた。会員条件はただ一つ。食事を心から愛し、食材に感謝できる者。これを見抜くのは、入り口に設置された聖女の結界。
「権力でねじ伏せてやる!」
「金を積めばいいんだろう!」
傲慢な貴族は入り口のドアノブに触れた瞬間、パチィッ!と静電気のような魔力で弾かれて入店すらできない。
ある日、店の前に豪華絢爛な馬車が止まり、降りてきたのはマイエスを捨てた実の父の侯爵。
王宮での地位も危うくなり、マイエスを連れ戻して再び利用しようと企んでいた。よく来れたなと。
「マイエスお父様だぞ!こんな店なんか畳んで屋敷に戻りなさい!」
侯爵はズカズカと入り口へ向かうが、しかし──バヂヂヂッ!!
「ぐわぁっ!?」
凄まじい衝撃が侯爵を襲い、無様に泥水たまりへと転がるとマイエスがエプロン姿で顔を出す。手には焼きたてのバゲットを持って。
「元お父様。当店は心清らかなる美食家以外はお断りしております。邪な考えを持っていると結界が反応してしまいますよ」
「な、なんだと!?親に向かって!」
「あ、そうだ。せっかく来ていただいたのにお腹が空きますよね?」
マイエスはバスケットから、黒く焦げたパンの耳を放り投げた。
「昔、私が実家で毎日食べていたパンの耳。懐かしいでしょ?特別に差し上げる。ふふふ」
「何事か」
騒ぐ侯爵をよそに一人の騎士が列に並ぶ。王国の騎士団長であり、氷結の貴公子と呼ばれる青年カッドウ。侯爵を一瞥して威圧し、黙らせるとマイエスに向き直る。
「……騒がせてすまない。予約していたカッドウだ……その、だな。噂のオムライスを食べに来たのだが」
顔を赤らめながら言いう相手ににっこりと微笑む。
「お待ちしておりましたカッドウ様。とろとろ卵のデミグラスオムライス、最高の一皿をご用意しています」
店内に入ったカッドウは黄金色に輝く半熟卵にスプーンを入れ、とろりと溢れ出す卵とチキンライスを口にして冷たい仮面を崩壊させた。
「っ!美味い!生きていてよかった!」
窓の外では泥だらけの侯爵が衛兵。マイエスの料理のファンたちに引きずられていく姿が見えるが見送りもせず「おかわりはいかがですか?」とカッドウに尋ねた。




