第二話
手紙を何度となく読み返す。一体彼女はこの手紙をどういった理由で俺に渡したのだろうか。
「ずっと前から好きでした。付き合っていただけませんか?」
そんな理由であれば可愛いものだ。だが、さすがにそんなことはないだろうと思う。
俺と彼女の接点らしい接点は、今までの学生生活を振り返ってみてもこれといって無かった。
唯一の接点と言えばクラスメイトであるということだが、近くの席になったことも無ければ、行事で同じグループになったことも無い。
……昨日のアレを除けば。
ちらり、と彼女の方を見る。ふと、目が合った。大きめで、少しだけとび色の入った目だ。さっ、と俺から視線を外す。いつから俺を見ていたのだろう?俺はその仕草に少しどきりとしてしまった。
どうしたものだろうか。昨日見たことを黙っていて欲しい、とかなら別に構わないのだが。
俺だって秘密くらいある。もしそれが他人に知れたらと思うとゾッとする。それに、人の秘密を言いふらして悦に入るような暗い趣味は俺には無い。
「とりあえず放課後を待つしかないな。あれこれ考えても仕方がないし」
それからの数時間は長かった。経緯はどうあれ、同年代の女子から手紙を貰うなんてことは今まで無かった。絶対に恋愛うんぬんの呼び出しでは無いだろうと思いつつも、もしかしたら……なんて思いが無かったとは言わない。
ただ単に女子(割と可愛い)との接点が出来るだけでも好機である。どこから恋愛が始まるかなど分かったものではないのだ。この接点が一生を左右する可能性だってある。
妄想力だけなら同校内でも十指に入ると自負している俺だ。放課後までの時間で、呼び出しからの恋愛シミュレーション数十通りを完遂することが出来た。ある時はカーテンの影で、ある時は夕暮れの街角で。
『誰かが来てしまいます……』
『見られたっていいさ……君となら、見せつけたいね』
『少し……寒くありませんか?』
『でも、手は暖かいよ。君のおかげかな』
『こんな武将でも……好きになってくれますか?』
『もちろんさ。俺は三国志が大好きだからね』
最後のはウソだ。俺は三国志が取り立てて好きなわけではない。ゲームを少し触ったくらいの知識しか無い。魏呉蜀が争って最後は全ての国が無くなってしまったということと、有名な武将……劉備、孔明、曹操、呂布くらいしか知らない。聞けば思い出せるかもしれないが。
最後のパターンになったらちょっと困るな……武将を恋人にしたら、大変そうだ。そう考えていると、終業を告げるチャイムが鳴った。
彼女は足早に教室を後にする。どこへ行くかは考えるまでもない。この学校の掃除当番システムは一週間交代なので、今週いっぱいは彼女が屋上前の掃除当番なのは間違いない。
よほど運が悪くない限り、俺たちが合っていても誰かに見られることはないだろう。そういう意味では、屋上前の踊り場は人を呼び出すのに絶好の場所であった。
わざと大きめの足音を立てて階段を登る。彼女はこの足音を聞いているだろう。何と声を掛けようか? それとも掛けられるだろうか?
踊り場に彼女の姿を認める。俯いていて、表情は分からない。
「きの――」
「き、昨日は」
同時に口を開いた。はっ、という空気が流れる。
「あ……先にどうぞ。俺を呼んだのは桜野さんなんだし」
「す、すみません」
こほん、と小さな咳払いをした彼女は、す、と息を吸った。
「き、昨日は突然逃げ出したりして、すみませんでした。突然のことでびっくりしてしまって」
予想されたパターンの範囲内だ。これに対しての返答は決まっている。
「いや、別に気にしてないよ。ちょっと俺もびっくりしたけどね」
「そ、そうですか?良かった……それで、昨日のことなんですけど」
うむ。清々しいほど予想の範囲内だ。自分の妄想力に感心する。
「うん、どうしようか? 黙っていたほうがいい? 別に人にいいふらすつもりは無いよ」
これで決まりだろう。あとは『ありがとうございます』だの『本当ですか』だのを聞いた後にでも、どこかに誘って遊びに行くとしよう。
彼女が口を開く。そこから発せられたセリフは、想定外のものが付属していた。
「ありがとうございます。……ところで園田さん、三国志好きなんですか?」
「えっ」
「私、『呂布』とは言ったんですけど、『呂布 奉先』とは言っていなかったと思うんです。それなのにフルネームを答えられるなんて、三国志好き以外の何者でもないですよね?」
なぜそこへ話が飛ぶんだ。完全に想定外だ。俺は二の句が告げなかった。すると、彼女はさらにまくし立てて来た。
「私、昨日ずっと考えていたんです。演舞を見られちゃったのは恥ずかしいけれど、『呂布 奉先』を知っている人なら分かってくれるだろうって。呂布さんの魅力が分かっている人なら、呂布さんごっこをしている理由も分かってくれるだろうって。呂布さんを知っているなら、三国志も好きだろうって。そんな人と友達になれたら素敵だと思うんです。そういう人なら、私が呂布さんごっこをしていたことを言いふらすような人じゃないと思ったんです。今まで三国志について語れる友達が全然居なくて……いや一人いるんですけどあの子は分かってないし……だから、お友達になって欲しいと思って、手紙を書いたんです」
先程までの怯えた小動物のような印象は無い。
しかしちょっと待て。なぜ呂布の名前を知っているだけで呂布好き、三国志好きにまでされなきゃイカンのだ? 話が飛びすぎなんじゃないか? というかこの子の思考……俺以上に妄想癖が強いんじゃないか? まずい。この女は何かがやばい。俺の空想力が全力で危急を告げている。ケニー・ロギンスの名曲が頭によぎる。DANGER!
「い、いや、悪いんだけど、そんなに三国志に詳しい訳じゃあないんだ。友達の家にあるゲームで遊んだことがあるくらいなんだ。たまたま呂布を使ったから名前を覚えていただけなんだ。期待に添えられなさそうで申し訳ないんだけれども……」
途端に彼女の表情が曇る。曇るというよりは失望したかのような、そんな表情。
「……では、横山も、吉川も、柴錬も、北方も、もちろん正史も読んだことは無いのですね」
ただでさえ身長の低い彼女が俯くと、表情が全く読めなくなる。まさか彼女がこんなキャラクターだなんて想定外だ。
「残念です。あなたも人生の数十パーセントを無駄にしている人でしたか」
ため息とともに彼女は言う。あれ? 俺、もしかして今、馬鹿にされてる?
「三国志の素晴らしさを知らずして豊かな人生などあり得ません。生きていくための教訓、明日に対する情熱、平和に対しての感謝、全てが詰まっていると言っても過言ではありませんのに。古来中国では、孔子・孫子・三国志 と呼んで讃えられているものなのですよ」
「いやいやどこの民明書房だよそれ! そんなの聞いたことないよ! っていうか決め付けるのは良くない、三国志を知らなくても人生を楽しんでいる人はたくさんいるだろう」
きっ、とこちらを見据える彼女。オーバーな仕草で自らの肩を抱く。
「知らないのは良いのです。ですが、知ろうともしてくれないことが私は悲しいのです。せっかく人生という大木を育てている土壌に、これ以上ない豊かさを与えてくれる書物が、手を伸ばせば届く場所にあるというのに、やれ難しそうだの、やれ古臭いだの、そういった言葉で片付けられ、軽んじられてしまうのが私は悲しいのです」
そういった彼女は、演技ではなく心の底から悲しんでいるように見えた。
だが、やはり古いものよりも新しいものが受け入れられやすいのは仕方のないことなんじゃないだろうか。
「あなたも、知ろうともしてくれないのですか?」
上目使いで俺を見る。やばい。女の上目使いというのがこれ程まで男の心に響くとは知らなかった。世の中の何人が何人の視線にやられてきたのだろう。そんな見当はずれな事を考えなければ冷静さを保てないほどだった。呑み込んだ息を丁寧に吐き出しつつ、返事をする。
「いや……知ろうとしないわけじゃないけど……機会が無いというか……難しそうというか」
つい言葉尻を濁してしまう。頭で考える前に言葉が出てくる。上目使いで俺を見つめる彼女は、俺に考えるという事をさせてくれなかった。ぱっと表情が明るくなる。
「その点については心配ありません! 私が最も読みやすく最も分かりやすいものをお貸し致しますから!」
俺は戸惑うしかなかった。大人しいとばかり思い込んでいた女子がいきなりコロコロとキャラクターを変えて喋りまくっているのだから。
先程までの悲壮感溢れる振る舞いはどこへやら、今度はカモを見つけた行商人のような振る舞いでまくし立てる。
「まずは横山三国志。日本において三国志と言えば横山・吉川です。横山三国志というのは基本的に吉川三国志のコミカライズでして、非常に読みやすい作品になっています。全六十巻と長めですが、すっきりとしたコマ割り、無駄のないセリフですらすらと読めます。私としては官渡の戦いを省いたことが不満ではありますが、まあ劉備玄徳を主人公とした勧善懲悪ものとしての体裁を整えるためであったのでしょう。仕方ありません」
うん、横山三国志は少しだけ読んだことがあるぞ。ここにいるぞ! とか、温州蜜柑でございます、とかだったかな……? なんだか偏っている気がしなくもない記憶を、一所懸命に呼び起こしてみる。
そんな風に記憶をほじくり返していると、矢継ぎ早に桜野が言葉を続けた。
「続いては北方三国志。最も現代風な三国志と言っても良いでしょう。三国志の世界観、登場人物をハードボイルド界の雄、北方謙三先生が噛み砕き再構成した、まさに新しい三国志です。私は北方先生の書く呂布さんが大好きなのですが、これを読むと張飛も好きになっちゃいますね。野戦料理のくだりには喉を鳴らされました。他にも柴錬、反、蒼天航路や各登場人物にスポットを当てたものなどがありますが、まずはこの辺りから読んでみてください」
熱く語る彼女。俺が知っているのと言えば横山光輝くらいのものだ。それだって少し見たことがある程度で、到底読んだとは言えないくらいのものだ。
それにしても、この性格……好きなものに熱くなり、いや熱くなりすぎる人間の性格……。
この雰囲気を俺は知っている。あいつと同じ匂いがする。間違いない。オタクだ。彼女は三国志オタクだ。
「部室に来てもらえれば本がありますから、どうぞ寄っていって下さい」
勝手に話が進んでいる。……って、部室? 部室に本がある? 彼女は文芸部だったか? いや、違う。この学校に文芸部は無い。漫研も無い。いったい何部なんだ?
「なあ」
「なんでしょう?」
実にいい笑顔だ。普段クラスで見かける彼女の表情からは想像出来ないようなその表情に、俺は少し戸惑う。こんな表情が出来る子だったのか。普段からこういう表情を浮かべていればさぞかしモテることだろうに。
「部室って言ったけどさ、桜野さんは何部なの? そんな本が読んでられるような部活なんて聞いたことがないけど」
ふふ、と含みのある笑みを浮かべながら彼女は言った。
「実は、正式な部活動じゃないんです。クラブ活動なんです。だから、おおっぴらな活動はしていません。知らなくても無理はありませんね」
この学校には部活動の他にクラブ活動というシステムが存在する。
一定以上の人数が集まり、かつ学生生活を豊かにする活動内容であれば、部費こそ出ないものの正式なクラブと認定され、部室を得ることが出来るのだ。
もちろん部室の数には限りがあるから、新しくクラブを結成するには取り決めがいくつか存在する。
参加人数は五名以上であること。
学生としての正道から外れていない活動内容であること。
顧問を最低一名は付けること。
上級生と下級生が混在していること。
上級生・下級生が混在していなくてはならない理由として、学生生活とは上下関係を学ぶ場でもある、との学校の方針がある。クラブ活動とはいえ上下関係が存在していなくては活動の意味が無い、との考えらしい。
また、一年ごとにクラブ活動の内容を提出し、改めてクラブとして認められなくては、クラブは存続出来ないらしい。新入生を獲得出来なかったり、活動内容が品位を欠いたものであったりした場合は、クラブは廃部になってしまうとのことだ。
おおっぴらに活動しているわけではないクラブもあるので、普通に生活しているだけでは知ることの無いクラブも存在する。彼女の所属しているクラブも、そういったクラブの一つだろう。
「クラブだったのか。それで、クラブ名は?」
「多文化芸術研究クラブ。略してゲイ研です」
ゲイ研という響きに、何か別の意味を感じつつも俺は尋ねる。
「で、その多文化……芸術研究クラブは、どういう活動をしているんだ?」
「ゲイ研が嫌なら"たぶんゲイ研"でもいいですよ」
「いや、いい……。というかあんまり略されてないじゃないか。それより、活動内容を教えてくれよ」
「ちなみにバイノーラル録音研究部、略して」
「いや、予想がつくから言わなくていい。それより」
軽くため息を付く。おいおい、この子はこんなキャラだったのか? 普段のおとなしい印象が完全に吹き飛んでしまった。
「仕方ありませんね。バイ研については後ほど説明するとしまして、ゲイ研の活動内容を知ってもらうことにしましょうか。古来より百聞は一見にしかずと言います。付いて来て下さい」
そういうと歩き出す。俺もそれに続く。混乱した頭を整理するのに、歩くというのはちょうど良い運動に思えた。
えーと……呂布が掃除してオタクでゲイ研三国志のJK? ダメだ。いまいち良くわからん。とりあえず活動内容とやらを見せてもらうことにしようか。部室棟を覗いてみるのもたまにはいいだろう。そう考えながら俺は歩を進めた。




