第三話。多文化芸術研究部(ゲイ研)とは?
桜野に連れられて来たのは、部室棟の一角にある平凡な部室だった。
確かに扉の上には『多文化芸術研究クラブ』と表記されている。帰宅部の俺としては部室棟に入るのは入学時のオリエンテーションぶりだった。他にも怪しげなクラブが軒を連ねている。
本当に全てのクラブが許可を受けているのだろうか? 件の『バイノーラル録音研究クラブ』も実在していた。本当に存在しているとは……。
「こちらが、私の所属する『多文化芸術研究クラブ』の部室です。この時間なら誰か来ていると思いますよ。ちょっと待ってて下さいね」
そう言うと彼女は扉を開ける。中には二人の人間が座っていた。
「新入部員を連れて来ました。紹介します」
ちょっと待ってくれ。新入部員? それって新しく入部する人員、つまり新入部員ってことだよな? どこにいるんだその人間は?
こっちを向いて手招きしている桜野。いい笑顔だ。まさかとは思うがその危篤、いや奇特な人間は俺じゃないだろうな?
後ろを振り向く。当然、誰の姿も無い。ですよね。
「紹介します。私のクラスメイトである園田君です。どうぞよろしくお願いします」
はてな? なぜ俺はよろしくお願いされているのだろう?
クエスチョンマークが頭の上に瞬く。これが電球であったならば新しい必殺技の一つでも覚えられたのだろうが、残念ながらクエスチョンマークにその効果は無いようだ。
「新入部員ん? 新入生じゃなくて二年生がこの時期に? ずいぶんと珍しいこともあるもんだねえ。どこかから退部して来たのかい? いや……違うか。その顔は帰宅部って顔だねえ」
俺の顔を見て、部室の中にいる一人が言う。上履きの色からすると上級生だ。ツヤのある黒髪と三白眼が印象的な、どこか悟ったような雰囲気がある人。というか、帰宅部の顔ってそんなものあるのだろうか? いや、まあ、帰宅部なんだけどさ。
ため息をひとつ。そんな俺を見て、もう一人の女生徒が口を開いた。
「大方、桜野が強引に誘ったんだろう? そうしちゃみんなして『ち、違うんです』って帰っていっちまう。中学の時のことを忘れたか? これだから呂布好きの脳筋は困るんだ」
すらりとした長身。俺とあまり変わらないほどだ。肩をすくめて首を振る仕草に、ゴムで止めただけのポニーテールが揺れる。確か見たことがある。取り立てて運動部に所属していない割にスポーツ万能で、よくヘルプで駆りだされていると噂の女子。名前は確か……。
「ちょっと葉山さん。脳筋とはなんですか脳筋とは。呂布さんが脳筋だなんて歪められた情報です。デマです。誤情報です。ステマです」
いきなり気色ばむ桜野。それをあしらうかのように、葉山と呼ばれた女生徒は軽い調子で言葉を返す。
「いやいや。別に呂布が脳筋って言ったんじゃないし。『呂布好きの脳筋』は困る、って言っただけだし。反応するってことは自覚あるってことなんじゃないの? 脳筋さん」
「百歩譲って『さん』を付けていないのは許します。ですが、呂布さん好きを侮辱する行為は許されるものではありません」
「大体何で呂布好きなの? 三国志と言えばやっぱり諸葛亮孔明でしょ。あの知謀、あの策略……。力より頭で戦場を支配するなんてかっこいいじゃない。司馬懿との対決なんて手に汗握るわ」
「孔明! 諸葛亮孔明! あのニート学士がかっこいいなんてわかってないです! 武人は戦場で馬を駆り槍持ちて敵将の首印を挙げてこそです! それに孔明は実際のところ負け戦ばかりじゃないですか! にわかはもう少し知識を付けてから喋って下さい!」
「呂布なんて裏切りを繰り返したあげく自分が裏切られて倒されちゃったじゃない! 孔明は最後まで自分が仕えた人と国の為に戦ったのよ? それでこそ武人なんじゃないの?」
「呂布さんを裏切った武将は惨めな死に様ばかりを迎えました! 呂布さんに殉じた高順さんのなんと誇り高いことでしょう! 張遼さんも降伏したとはいえその後は三国時代最高クラスの武勲を挙げています!」
「なによ!」
「なんですか!」
俺の目の前でいきなり口論しだす二名。俺にとってわかるのは孔明・呂布という名前だけだった。全く知らない人名だか地名だかが飛び交う中、俺は一つのことを考えていた。
「ちょっといいかな」
俺が言うと二人は視線をこちらに向ける。
「「なんですか!」」
「俺、帰ってもいいかな」
「「なんですって!」」
なぜかハモリで怒られる。この二人、本当は仲いいだろ。絶対そうだ。間違いない。
「せっかく三国志という素晴らしい世界の扉に手を掛けたところであるといいますのに、帰るとはなんですか! 約束が違うじゃないですか!」
約束? いつの? どこで? 誰が? なぜ? 何の?
「知ろうと……してくれるって……言ったじゃないですか……」
――あなたも、知ろうともしてくれないのですか?
脳裏に蘇る台詞。いや、確かに否定はしなかったけどさ。肯定もしていなかった気がするのは気のせいかな?
「君ぃ、女の子との約束を違えると言うのかい? ひどいじゃないか。過程はどうあれ約束は守らないと。それが男の甲斐性って奴さ」
上級生と思しき部員がしみじみと言う。なぜか腕組みをして頷いている葉山と呼ばれた女子。この変わり身の速さ、桜野に引けを取っていない。
というか、約束の前に、過程が過程ですら無いというツッコミをしたい。したいんだけど薮蛇になってしまう予感しかしない。ああ、もう、面倒くさいなあ……。
「わかったわかった。約束は守るよ。守るから置いてけぼりにして喧嘩をするのは止してくれ」
途端に焦った顔でこちらを見る、先程まで喧嘩をしていた女子二名。
「け、喧嘩? 私たち、べべべ別に喧嘩をしていた訳ではないのですが」
「そそそそうね。あれはいわゆる一つの、そう、議論というものだし~」
二人揃って顔の前で手を交差させる。あれが喧嘩じゃなかったら世の中の口喧嘩はほとんどが議論ということになってしまうような気がする。しかし、なぜ二人は怯えたような表情を浮かべているのだろう?
「このクラブではねえ」
上級生が笑みを浮かべながら口を開いた。穏やかだがどこか緊張感を持たせるトーン。俺の意識は、不思議とその声に引き寄せられた。
「このクラブではねえ、文化に対する口喧嘩はその一切が法のもとに禁止されているんだ。もちろん暴力もね」
口喧嘩の禁止? だとするとさっきのは禁止事項なんじゃないのか?
「だとするとさっきのは? って顔をしているねえ、帰宅部君。ふふ、あれは口喧嘩に見えたかもしれない。でも、あくまでこのクラブにおいて、全ての論議は『議論』なんだ。相手の好きなものを貶めて自分の好きなものを持ち上げるという『口喧嘩』は、このクラブには要らない」
あれが議論? 今日び中学生でももう少しマシな議論をしていそうなものだが。
「結論を急いではダメだよ。話は最後まで聞きたまえ。『口喧嘩』は禁止されているが、『口論』は推奨されているんだ。議論とは建設的なものであり、文化を自分のものとして昇華し、再認識するための大事なステップだ。ただ」
「ただ?」
「『議論』という建前があるにせよ、君は彼女たちの『議論』を見て、『ただの口喧嘩』だと判断したわけだ。物事は自分で認識しているだけではなく、他人がどう認識しているかというのも大事なポイントだ。他人から見て明らかに『議論』でないのならば、建前はその意味を持たない」
「わかったような、わからないような」
正直言ってよく分からない。このクラブでは口喧嘩が禁止されていて、建前のもと行われる口論という名の議論は良くて、でも第三者から見て明らかに口喧嘩だった場合はダメ? ダメならどうするのだろうか? うーむ、よくわからん。
「と、言うわけだね、お二方。君たちの『議論』は彼によって『ただの口喧嘩』と判断された。言っている意味、わかるねえ?」
「は、はい……」
「わかりました……」
俯いて上級生の言葉を聞く二人。二人は棚からレポート用紙を取り出すと、何かを書き始めた。
「これはこのクラブに四十八ある法の一つである『一貶一褒令』だよ。一つ貶したら一つ褒める。簡単に言えば、これから彼女たちは、先程自らが貶していたものを褒めなくてはいけないんだ」
「お、面白いルールですね」
初めて聞いたルールだ。自分が貶していたものを褒めなくちゃいけないって結構大変なんじゃないか? というか、そんなことする必要があるのだろうか。
「どうしても趣味人は熱くなると、自分の好きなものが好きでありすぎるが故に、それと合わないものを貶してしまいがちであるからねえ。だが、価値観というのは人の数だけあるのが当然であるし、他人のそれを貶すというのは趣味人のやることではない。それでも貶してしまった場合は、貶した分を償うというのが筋というものだろう? そうしてあげないと貶して貶しての繰り返しになってしまうからねえ。建前であれ、良いところを探してあげれば、多少は意識も変わるってものさ。例えそれが『建前でも』ね。それに」
「それに?」
「彼女たちは基本的に良い友人同士なんだ。それが売り言葉に買い言葉とはいえ、貶し合っていては、いつかどこかで友情にひびが入ってしまうかもしれない。そうなってしまったら、それはとても悲しいことだとは思わないかい? ああ、頭の上にクエスチョンマークを並べないでくれたまえ。簡単に言えば、『お互いの好きなものを貶めるような口喧嘩はするな』『口喧嘩したら謝れ』ということなんだ。決まりとして説得力を持たせるには、色々と言葉に装飾が必要なのだよ。実際の法律や憲法も長々とまわりくどく記載してある割に、内容は単純な事が多い。もっともわかりにくい文章の一例として日本国憲法の前文が挙げられるくらいだね」
レポートを書いている二人を見る。お互いが資料を読みながらちまちまと書いていく。
「呂布ってさあ……まあ武力は高いよね、あと強い、あとは……董卓を倒したよね」
「孔明は……国家の運営に関しては並々ならぬ政治力を発揮しましたよね」
お互いがお互いに良いところを聞いている。罰則とはいえ、こうしてお互いの好きなものを肯定し合うのはいいものなのかもしれない。ただ、その表情は苦虫を噛み潰したかのようなものであり、何かひっかかるような褒め方ではあるが。
「滑稽だと思うかい? でもねえ、悪いところばかり見ていてもしょうがないんだよ。それよりも良いところを見つけたほうが人生楽しいからね。ふふ、そういう意味では人生の訓練なのかもしれないねえ。人の嫌なところより、良いところを見つけた方が建設的だろう?」
一年しか違わないはずなのにこの上級生は達観した物言いをする。どういう育ち方をしたんだろうかこの人は。
「自分の趣味が人を傷つけるものであってはいけない。自分の趣味で人を傷つけてはいけない。趣味人とは、そうあるべきだと思わないかね? 帰宅部君」
「帰宅部君じゃなくて、園田ですよ、上級生さん」
「これは失礼。上級生さんじゃなくて、天王寺だ。以後よろしく」
そうこうしていると、レポートを書き終えた様子の二人が歩いてきた。
「「出来ました」」
「よろしい」
特に目を通すでもなくレポートを返却する天王寺さん。あれ? あれだけ語っておいてノーチェックですか?
「なぜ目を通さないのかといった表情だね。理由は簡単……あのレポートは私に向けて書かれたものではなく、自分と相手に対して書かれたものだからだよ。だから、判断するのは自分であり、相手なんだ。私はレポートが『書かれた』ことを認識出来ればそれでいいのさ」
そう言うと分厚いハードカバーの本を手に取る天王寺さん。
「ちなみに私の嗜好は古き良きジュブナイル小説や、いわゆる名作と呼ばれているメジャーな文学作品に偏っている。どうだい? 君も一冊」
そういうと潜水艦の描かれた古そうな本を見せてくる。
「この本が出版されたのは1870年のこと。当時、潜水艦という技術は確立されていなかった。しかし、この本には存在しなかったはずの潜水艦が描かれている。なぜか? それは簡単。作者の想像によって創造されたからだ。想像とはいえ細部まで細かく描写された潜水艦は、それが現実に存在するかのような説得力を持っているね。この多方面の知識を備えた作者は、他にも空想SFの名作を色々と残している。『想像によって創造』ふふ、いい響きだと思わないかね? ファンタジーの醍醐味だよ。ぜひ一読を薦めるね」
そう言うとうっとりしたような表情で本を抱える天王寺さん。達観しているように見えてやっぱりこの人もオタクなんだな。そう思いつつ、俺はパイプイスに腰を下ろす。
オタクというのは自分の趣味を他人に薦めなくてはいけない法律でもあるのだろうか? 桜野も天王寺さんも、聞いてもいないのにあれを読めこれを読めと薦めてくる。
俺自身、趣味が無いという訳ではない。漫画やゲームはそれなりに持っているし、アニメや映画だって見る。この前出たモンスターハンティングゲームなんて、この学校で俺より詳しい奴はそうそういないと自負出来るくらいやり込んだ。
見る人が見たら、俺も『オタク』の範疇に入るのかもしれない。
でも、それをわざわざアピールしようとは思わない。趣味をひけらかしてオタクというレッテルを張られたり、あらぬ噂を立てられてはたまったもんじゃない。
そう考えると、根本的な所で俺とゲイ研の人間は違うのかもしれない。
「ところで」
天王寺さんが本棚に向かいながら言う。
「君はどんな趣味を持っているのかな」
「……いや……別に、これといって趣味と呼べるものはないですよ。普通にゲームしたり、普通に漫画を読んだり、友達と遊んだりはしますけどね」
そう。普通に。
「そうかな? 趣味人を長くやっているとねえ、なんとなくだけどわかるんだよ。雰囲気とか、所作とか、そういうのでね。君はどちらかというと私達側の人間に思えたんだけど、気のせいだったのかな。だとしたら私の眼力も衰えたものだ。やだねえ、歳は取りたくないねえ」
そういうと天王寺さんは別の本を取り出し、それを読み出す。
俺はその動作を見ながら考えていた。
そもそもどうして俺はここにいるんだったか? そうだ、三国志を貸すとかなんだとかで連れてこられたんだった。桜野は葉山と喋っているし、今なら無かったことにして帰れるかもしれない。俺は活字だらけの本を読むというのは苦手だ。
「それじゃあ、そろそろ失礼します」
一応上級生である天王寺さんに一言告げる。さすがに無言で帰るのは失礼だろう。
「ああ、帰るのかい。ま、暇だったらいつでもおいでよ。なんなら本当に入部してもらっても構わないよ」
「……考えておきます」
社交辞令のお手本のような言葉を述べ、部室を後にしようとしたその時、声が掛かった。
「ちょっと! ちょっと待って下さい! 帰るなら一言掛けて下さいよ!」
予想通りというかなんというか、桜野が慌てた様子でこちらに駆け寄ってくる。その手には紙袋があった。
「はい、とりあえず先程言いました吉川・北方三国志です。横山三国志は全六十巻と量が多いので、後ほどお貸し致しますね」
有無を言わさず紙袋を押し付けてくる。重い。中を見てみると数十冊の本が入っていた。
……これを全部読むのか? 漫画ならまだしも、小説を数十冊なんて読み切れるわけがない。普段から読書習慣など無い俺に、これはちょっと酷なんじゃないのか?
「ゆっくりでいいですからね。まあ一日一冊くらいのペースで読んでみて下さい」
一日一冊? 何を言っているんだこの女は。一日に小説を二百ページ以上読めというのか?
二百ページも教科書を読んでみろ。一冊終わってしまうじゃないか。俺は天才か?
「おいおい、桜野くん。さすがにいきなりその量は厳しいんじゃないのかい?」
「そうですか? 私なら文庫本サイズで一日千ページまでは楽に読めますが」
「君は速読法を習得しているし文章に慣れているだろう。見たところ園田くんは読書に不慣れの様子。それなら、一日に半分……いや、四分の一も読めれば上等と言った所だろう。あまり無理を言ってはいけないよ」
不満そうにこちらを見る桜野。全くもって先輩の言うとおりだ。そもそもどうして俺が三国志を読まなきゃいかん? その辺りからして色々とツッコミを入れたくなるが……。
「じゃあ、園田さん、読み終わったら感想を聞かせて下さいね。もちろん、読み途中でも大丈夫ですよ」
満面の笑みを浮かべて桜野が言う。
この笑顔で言われたらツッコむどころではなくなってしまう。
正直な所、明るく振舞っている桜野は可愛らしかった。この子との話の種になるのであれば、少し頑張ってみようか。そう思わせるほどの笑顔だった。
「色は思案の外、かな」
天王寺さんが窓の外に視線をくれながら言う。いろはしあんのそと? 一体何のことだろう?
「何、気にしないでくれ。ただの独り言だよ。それより……入部の件、考えておいてくれたまえよ。君にとっても悪い誘いじゃないと思うんだがねえ」
何か含みのあるような言い回しをする天王寺さん。俺はぺこりと頭を下げると、部室を後にした。
「本当にこんな量の本を読みきれるのかね? 多分、俺が今まで読んだ小説の総量より多いぞ、これ」
紙袋の重みを感じながら独りごちる。
「ま、いっか。たまには知的な気分で読書ってのも悪くないかもな。桜野の意外な一面も見られたことだしね。漫画なら一日何冊も読めるし、なんとかなるだろ」
他の男子、下手したら女子ですら知らないであろう、桜野の一面。
それを知っているのは俺(と、芸研の人たち)だけだと思うと、なんだか桜野にとって特別な存在になった気さえする。さすがに図々しいかと思い、首を横に振る。
「まさか桜野がああいう性格だったとはね。知らなかったけど、どうしてクラスではあんなに大人しいんだろう? 今度聞いてみるか」
いつもの大人しい桜野と、先ほどのはっちゃけた様子の桜野が交互に頭に浮かぶ。目の当たりにしたところとはいえ、どうもやはり納得が行かない。二重人格とかだったらやだなあ。躁鬱の気があったりするんだろうか……?




