第12話 甲羅
『アルティザン号』へ戻ったレオンとシェラは、持ち帰った翡翠大甲蟹の部位と鉱泉岩塩を、船倉の大型保冷陣へとすぐさま運び込んだ。
エレナの手で完璧に調整された冷気によって、獲れたての鮮度が瞬時に閉じ込められていく。白く透き通ったカニ身は、みずみずしさを保ったままギュッと身を引き締めていた。
「よし、冷え加減も完璧だ。……それじゃ、今夜の仕込みに入るとするか」
レオンが厨房で道具を揃え始めると、漂う気配を察したのか、甲板で待機していたバルトとエレナがソワソワとした様子で調理台の周りへ集まってきた。
「おいおいレオン、そいつが噂の地下水脈のカニか? でっけえハサミだなあ!」
「ふふ、見た目だけじゃないわよバルト。中身の締まり方が全然違うんだから」
レオンは二人との軽い雑談に応じつつも、手元へ意識を集中させた。今回挑むのは、南国の未知なる素材と手に入れた調味料を組みあわせた、完全な創作料理だ。
まず取りかかったのは、太く身の詰まったハサミと脚の肉だった。
甲殻の隙間から滑り込ませた包丁で丁寧に身を抜き取り、地下水脈で採集した鉱泉岩塩をうっすらと振りかける。適度な塩分が肉のタンパク質を引き締め、内部に秘められた濃厚な甘みをギュッと閉じ込めていく。
熱したフライパンへ上質な油を引くと、カニ身を静かに滑り込ませた。
ジュワッという心地よいシズル感とともに、香ばしい海鮮特有の甘い芳香が厨房いっぱいに立ち上る。
(表面の繊維だけをサッと焼き固めて、中は生の甘みと弾力が残るレアに仕上げる……これが激流で鍛えられた身の良さを一番引き立てる)
別鍋で加熱して嫌な臭みだけを飛ばした黒海魚醤に、シトラス・モスの澄んだ酸味と、焔果実のピリッとした辛みを加えた特製ソースを仕上げに回しかけ、手早く全体を絡め合わせた。
* * *
二品目は、大きな甲羅の中にたっぷり残された黄金色の蟹味噌を使った創作料理だ。
臭みのまったくない濃厚な味噌へ、細かく刻んだ香木鶏の脂身と少量の熟成魚醤、そして細かく砕いたハーブを和えていく。それを甲羅ごと直接、炭火の網の上に載せた。
じわじわと熱が通り、グツグツと黄金色の味噌が泡立ち始める。
香ばしい魚醤の焦げる匂いと、カニ味噌と香木鶏のコク深い脂の香りが混ざり合い、風に乗って甲板全体へと広がっていった。
「うわあ……っ! なにこの匂い、すごく濃密でクラクラしそう!」
エレナが目を輝かせてお腹をさすり、バルトも酒瓶を片手にゴクリと大唾を飲み込む。
「お待たせ。『翡翠大甲蟹の温製ポワレ〜特製ハーブと熟成魚醤ソース〜』と、『蟹味噌と香木脂の甲羅焼き』だ」
* * *
甲板の木製テーブルに、出来立ての二品が運ばれた。シェラが静かにフォークを伸ばし、ハーブソースがとろりと絡んだカニ身を口へ運ぶ。
一瞬、甲板に静寂が訪れた。
「……っ! なんだこの食感は……! 表面はカリッと香ばしいのに、中は歯を押し返してくるほどの弾力だ……! 噛むたびに溢れるカニの甘みと、魚醤の重厚な旨味が口の中で爆発している」
「ガハハ! おいおい、この甲羅焼きはズルいだろ! 蟹味噌の濃厚さに鶏の脂の甘みが溶け込んで、酒がいくらあっても足りねえぞ!」
バルトが木樽の酒を豪快にあおりながら、甲羅の端に残った味噌まで愛おしそうに匙ですくい取っていく。
エレナも一口食べるなり、あまりの美味しさに両頬を押さえてうっとりと目を細めた。
「凄すぎるわ、レオン……。こんな料理、本国の高級レストランでも食べたことない!」
「素材のポテンシャルが高いからな。そこに、互いの旨味を引き立て合う理屈を組み合わせただけさ」
レオンは静かに微笑みながら、自分も出来立てのカニ身を一口味わった。
地下水脈での激闘、そして極上の仕込み。職人の技術と現代の調理ロジックが融合した一皿は、仲間の笑顔とともにサン・ロザリアの熱帯夜に最高の余韻を残していった。




