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三つ星シェフ、街角の屋台から始める異世界グルメ  作者: Green Rabbit
第二部・世界航海&魔境ダンジョン編
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第7話 黒海市場


 『黒海市場』の中に一歩足を踏み入れると、表通りの陽気な賑やかさとは打って変わり、湿り気を帯びた独特の熱気が肌にまとわりついてきた。


 頭上を覆う古い日除けの布が日光を遮り、狭い路地の両脇には素朴な木箱や古びた土壺が所狭しと並べられている。塩を噴いた正体不明の魚介類や、見たこともない色合いの乾燥ハーブ、怪しげな油を売る露店がひしめき、店主たちが不愛想な視線を投げていた。


「……独特の空気感だな。スリや巾着切りが多いというのも頷ける」


 シェラがケープの下で腰の長剣に手を添え、油断なく周囲へ鋭い視線を巡らせる。


「ああ、だがこの匂いは間違いない。タンパク質がしっかり分解されてアミノ酸に変わっている……フレンチのガルムや、魚醤の匂いだ」


 レオンは立ち込める癖のある芳香を嗅ぎ分けながら、並べられた土壺を一つひとつ観察して歩いた。南方から流れてきたと思われる乾物屋の店頭には、潮風に晒されてカチカチに固まった大ぶりの魚の頭や、真っ黒に熟成された果実の壺が並んでいる。


 市場の奥、ひときわ年季の入った黒い土壺をいくつも並べている露店で足が止まった。店主の老人は、使い込まれたパイプの煙をくゆらせながら、レオンたちを胡散臭そうに見上げてきた。


「見ねえ顔だな。そこらの観光客が冷やかしで冷やせるような代物は置いてねえぞ」

「この壺の中身を見せてもらってもいいか?」


 レオンが足元の大きな壺を指さすと、老人は鼻で笑い、壺の重い木蓋を少しだけずらした。


 途端に、強烈な潮の香りと、熟成された濃厚な発酵臭がふわりと立ち上る。普通の人間なら思わず眉をひそめて後ずさりするような、癖の強い匂いだ。


「南方の深海魚と内臓を、強い塩分で一年以上寝かせた『魚醤壺』だ。地元の奴らでも匂いに酔って使いこなせねえ。生で舐めりゃ激辛で臭みが残るからな。せいぜいスープの臭み消しに一滴垂らすのが関の山だ」


 老人の言葉を聞きながら、レオンは胸ポケットから木製の小さな匙を取り出し、壺の表面に浮いた透き通った褐色の液体をほんの少しだけ掬った。


 慎重に舌の先に載せてみる。


 一瞬、口の中全体にガツンと強い塩気が広がる。しかしその直後、舌の奥を刺すように押し寄せてきたのは、暴力的なまでの濃厚な旨味と深いコクだった。


(臭みはあるが、タンパク質の分解速度と塩分濃度が完璧だ。この強烈な魚醤は、火を通すことでアミン系の臭みが飛び、純粋な『極上の旨味』だけが残る……!)


「素晴らしい熟成具合だ。塩分濃度が高いから悪玉菌が増えず、魚自体が持つ自己消化酵素だけで限界まで分解されている。少し火を入れれば、劇的な旨味に化けるぞ」


 レオンが淡々とそう告げると、パイプをくわえていた老人の手がピタリと止まった。


「……あんた、この匂いを嗅いで顔ひとつ歪めねえどころか、熟成の仕組みまで分かってんのか?」

「ああ。そのまま使うんじゃなく、過熱して臭みを飛ばし、酸やハーブと合わせれば極上の調味料になる。この壺を丸ごと一つ譲ってほしい」

「……へっ、おもしろい兄ちゃんだ。ただの物好きかと思ったら、本当の値打ちがわかる奴だったか。持っていきな、勉強してやるよ」


 老人は不敵に笑うと、提示された金額で快く重い土壺を譲ってくれた。


 しっかり木蓋を締め直した土壺を抱え、レオンは満足げにシェラと目を合わせた。


「いい買い物ができた。これでサン・ロザリアの料理は、さらに化けるぞ」

「ふ……あんたがそう言うなら、次の飯が楽しみで仕方がないな。何を仕込むつもりだ?」

「この魚醤の旨味と、昨日採った原種のハーブを合わせる。……船に戻ったら、さっそく仕込みに入ろう」


 未知の極上調味料を手に入れ、新たな味の構想を膨らませながら、二人は『アルティザン号』の待つ港へと足早に戻っていった。

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