第5話 香木鶏の極上ポワレ
『アルティザン号』の甲板に足を踏み入れると、作業の手を止めたバルトとエレナが出迎えた。
「おう、戻ったか! 随分と早いお帰りじゃないか」
「無事に良い食材が見つかったの?」
レオンは冷気箱の蓋を開け、丁寧に血抜きされた『香木鶏』の肉と、採れたての『シトラス・モス』、鮮烈な赤みを帯びた『原種・焔果実』を披露した。
「ああ、極上の獲物だ。エレナ、この香木鶏を保冷庫へ運んで一時間だけ低温で休ませてくれ。肉の緊張をほぐし、余分な水分を落ち着かせる」
「了解! すぐに温度を最適化するわ」
レオンの手際良い指示を受け、エレナが嬉しそうに冷気箱を抱えて船倉へと降りていく。
バルトが肉から漂う爽やかな柑橘の香りに目を見張り、鼻を鳴らした。
「おいおい……まだ火も通してねえのに、なんとも上等な香りがするじゃねえか」
「屋台で食べた串焼きの知恵と、この素材のポテンシャルを合わせる。今夜は最高の晩飯にするぞ」
* * *
厨房に立ったレオンは、包丁を握ると迷いなく香木鶏を部位ごとに切り分けた。
屋台の串焼きは強烈な直火で豪快に炙っていたが、遠赤外線の火力が強すぎて肉の水分が飛び、タンパク質が固く縮こまっていた。
(あの焼き方では、せっかくのハーブの香りと上質な脂が落ちてしまう。皮目はパリッと香ばしく焼き上げ、身には水分を閉じ込めたまま繊細に熱を入れる……)
レオンは熱したフライパンに少量の油をひき、塩を振った香木鶏の皮目を下にして並べた。
ジューッ、と軽やかな音が響く。
強火で一気に煽るのではなく、弱火でじっくりと皮の裏の脂を溶かし出しながら、自分の脂で自分を揚げ焼きにしていく。皮が鮮やかな黄金色に変わり、芳醇なハーブの香気が厨房いっぱいに満ちていく。
肉をひっくり返し、火を止めた。
(あとは余熱だ。フライパンの残熱だけで、中心部までじっくりとロゼ色に熱を通す)
その間に、別鍋でソースの仕込みに入る。
肉から出た香ばしい旨味オイルに、細かく刻んだ『シトラス・モス』と、種を抜いて潰した『原種・焔果実』、そして少量の白ワインとバターを投入する。
激しいスパイスの辛みをバターのコクでまろやかに包み込み、採れたての柑橘苔が持つフレッシュな酸味と香りを残したまま、鮮やかな翡翠色のソースへと仕立て上げた。
* * *
船上のテーブルに運ばれたのは、黄金色に輝く皮目と、しっとりとした薄桃色の身が美しい『香木鶏のポワレ』。そこへ、鮮烈な翡翠色のフレッシュソースが回しかけられている。
「うわぁ……! なにこれ、緑色のソースなんて初めて見たわ!」
「香りが凄まじいな……皮の香ばしさと、爽やかな果実の匂いが鼻を抜けていくぞ」
エレナとバルトが目を輝かせる中、シェラは静かにナイフを入れた。刃が吸い込まれるように肉へ入り、切り口から透明な肉汁が溢れ出す。
一口、肉を口に運んだ瞬間。
「っ……!」
シェラの手が止まった。
パリッと音を立てて弾ける皮の香ばしさ。その直後に押し寄せるのは、噛む必要すらないほど柔らかく、溢れ出すジューシーな胸肉の甘みだ。
屋台の硬い肉とはまるで別物。口の中で身が解けるたび、肉自体に染み込んでいた香木樹のハーブ香と、後から追いかけてくるスパイスの爽やかな辛みが一気に弾け飛ぶ。
「な、なんだこれは……! 肉がめちゃくちゃ柔らかいぞ!? 辛いのに、後味が驚くほどさっぱりしてて、いくらでも食える!」
「皮はサクサクなのに、中はすっごくジューシー……! ソースの甘酸っぱさとピリッとした辛みが最高に合うわ!」
バルトとエレナが声を上げて貪り食う横で、シェラは深く息を吐き出し、静かに口元を緩めた。
「……あのパサついた屋台の肉が、火入れひとつでここまで化けるとはな。……レオン、あんたの料理は本当に恐ろしい」
目元に確かな熱を宿らせ、シェラは皿に残ったソースまでパンですくい取り、綺麗に平らげていく。
熱帯の夜風が吹き抜ける甲板で、極上の香気と歓声が、どこまでも爽やかに広がっていった。




