第9話 そろばん
「おい、ちびっ子シェフ……! あんた、一体何者だ……!?」
革鎧の男、仲買人のバルトは、ギトギトと欲望を混ぜ合わせた目を据え、簡易調理台に手をかけた。
周囲の貧民たちが「なんだあいつ」「客の邪魔をするなよ」とざわめき始めるが、バルトは気にする様子もなくレオンを見据える。
「ただの料理人さ。見ての通り、屋台を引いてるガキだよ」
レオンは脂の拭き取った包丁をカチャリと台に置き、冷めた笑みを向けた。
「ふざけるな。あんな仕込みの行き届いた肉、普通のガキが出せるかよ。しかもただの雑種オークの肉を、王都の高級レストランのローストより芳香がさせやがって……魔法か? それともどこかの貴族の落とし子か?」
バルトの目は鋭い。スラムのゴロつき共とは違う、利害と金を動かす人間の匂いがした。
「知りたいか?」
レオンは低く呟き、バルトの耳元へわずかに身を乗り出した。
「……裏市で仕入れたカス肉と、誰でも使える最底辺の生活魔法だ。タネを明かせば、アンタの仕入れてる冒険者ギルドの高級食材より、はるかに安上がりで美味いもんが作れるぜ」
「なっ……!?」
バルトの息が詰まる。
仕入れたカス肉と生活魔法、その言葉の意味を、仲買人である男が理解できないはずがない。
「……買い取りたい」
バルトはすぐに表情を引き締め、懐からずしりと重い革袋を取り出した。
「その『調理の技術』、あるいはこの屋台の独占販売権を俺に売ってくれ。銀貨を出す。スラムのガキなら、一生遊んで暮らせる額だ」
周囲の空気がピリッと張り詰めた。
銀貨。スラムの人間にとっては、文字通り人生がひっくり返るほどの巨額の富だ。ゴルドたち荒くれ者も、息を呑んでレオンの返事を待っている。
だが、レオンは鼻で笑った。
「断る」
「は……?」
「銀貨一枚ぽっちで俺のレシピを買い叩こうなんて、十年早いんだよ」
レオンは冷徹な視線をバルトに向けた。
「どうしてもこの肉が喰いたいなら、客として並びな。だが、どうしても独占したいって言うなら……対等な『取引』の席につくことだ」
バルトの顔が驚愕から険悪な色へと歪む。十歳の子供に値踏みされ、堂々と交渉を跳ね除けられたからだ。
だが、バルトの脳裏では猛烈な勢いで算盤が弾かれていた。この味なら、王都の貴族や商会に持ち込めば、銀貨どころか金貨の山に化ける。
「……面白い」
バルトはしばらくレオンを凝視した後、不敵に口の端を吊り上げた。
「いいだろう、ガキ。対等な取引だ。明日、昼過ぎにあの廃品街の倉庫へ来い。詳しい話を聞いてやる」
「……ああ、遅れんなよ」
バルトは舌打ちしながら人混みに消えていった。
ざわめくスラムの住人たちを無視し、レオンは再び不敵な笑みを浮かべて、最後の客にステーキを差し出した。
路地裏の屋台から始まった革命は、ついに王都の裏社会を巻き込み始めていた。




