第10話 用心棒
ボロ小屋に戻ったレオンは、冷えた水を一口飲み、静かに息を吐いた。
「廃品街の倉庫、か……」
バルトという男の目は、あきらかに利害と金を追う商人のそれだった。
10歳の子供が一人でノコノコと指定された密室へ赴けば、待っているのは対等な交渉ではない。拘束され、仕込みの手順や【微火】【微風】の使い方を力づくで吐かされるのが目に見えている。
(子供の身体だからと舐められるのは構わない。だが、無策で飛び込むほど青くもない)
西麻布で店を任されていた頃、料理の腕と同じくらい叩き込まれたのがリスク管理だ。トラブルが起きてから対処するのでは遅い。事前に危険の芽を摘み、有利な環境を整えるのがプロの仕事だ。
レオンは昨日の売上から、ずしりと重い銅貨の入った革袋を懐に仕舞うと、スラムの裏路地へと向かった。
泥水と安酒の匂いが立ち込める薄暗い溜まり場。
歪んだ木箱をテーブル代わりに、巨漢のゴルドが手下どもと賽コロを転がして談笑していた。
「……ゴルド」
声をかけると、サイコロを振り上げかけたゴルドが振り向き、驚いたように目を丸くした。
「あん? おいおい、シェフじゃねえか。こんなところで何してんだ?」
「少し仕事の話がある。耳を貸してくれないか」
レオンは静かなトーンで告げ、ゴルドを少し離れた路地へと誘い出した。
いつもの屋台で見せる威勢のいいフランクな接客口調ではない。落ち着いた大人の眼差しと真摯な佇まいに、ゴルドも察したように表情を引き締める。
「……なんだよ、真面目な顔して」
「明日、仲買人のバルトと商談をする。だが、あの男の指定した場所は廃品街の倉庫だ。俺のような子供が一人で行けば、まともな取引にならないのは分かっている」
「……ふん、あいつならやりかねねえな。で? 俺に叩き潰してきてほしいのか?」
「いや、力づくで揉めたいわけじゃない。俺はあの屋台ひとつで終わるつもりはないんだ。これから仕入れを増やし、店舗の確保や流通の拡大を進めていく。そのためには、裏の連中に舐められない組織の『目張り』が必要になる」
レオンは懐から銅貨の詰まった革袋を取り出し、ゴルドの手元へ静かに差し出した。
「ゴルド、お前を俺の専属の用心棒として雇いたい。明日の交渉への同席と、これからの事業の安全管理(警備)だ。これは前払いの手付金だ。規模が大きくなれば、毎月決まった報酬(固定給)を払う」
「……なっ!?」
ゴルドは革袋を受け取り、そのずっしりとした重みに目を見開いた。
手づかみで肉を食わせてくれるだけなら「気のいいガキ」で終わる。だが、この10歳の少年は、自分を一人のプロの用心棒として評価し、対等なビジネスとして金を積んできたのだ。
「……本気なのか、シェフ」
「俺はいつだって料理と仕事には本気だ。バルトと組んで事業を広げれば、お前にもっとデカい金を回せる。……どうだ?」
ゴルドはしばらく革袋とレオンの落ち着き払った顔を見比べ、やがて「ハッ」と豪快に笑い出した。
「参ったな……ただの料理の上手いガキかと思ってたら、とんでもねえ大物じゃねえか。いいぜ、乗った。お前の背中は俺が守ってやる。バルトの野郎が妙な真似をしようもんなら、首の骨を折ってやるよ」
「助かる。頼むよ」
レオンは静かに微笑み、小さく頷いた。
*
翌日、昼過ぎ。
錆びついた鉄くずや朽ちた木箱が積み上がる廃品街の奥。薄暗い倉庫の重い扉を押し開けると、カビ臭い空気のなかでバルトが不敵な笑みを浮かべて待っていた。
周囲の影には、バルトが忍ばせていたであろう数人の用心棒の気配もある。
「へっ、よく来たな、ちびっ子シェフ。……一人で来るとは、いい度胸じゃねえか」
バルトが勝ち誇ったように足を踏み出そうとした瞬間、レオンの後ろから、巨漢のゴルドが威圧的な殺気を撒き散らしながらぬっと姿を現した。
「あ……? ゴルド……!? なんでお前がここに……!」
「おいおいバルト、俺の雇い主に妙な圧かけてんじゃねえよ」
ゴルドが太い腕を組み、ニヤリと凶悪な笑みを浮かべると、影に潜んでいたバルトの手下どもが引きつった顔で後退った。バルトの顔からも一瞬で余裕が消え去る。
「待ち合わせた時間通りだ、バルトさん。……さあ、商談を始めようか」
10歳のシェフは、大人の静けさをたたえた声で、ゆっくりと交渉の席についた。




