第11話 交渉のテーブル
薄暗い倉庫の中、カビと鉄くずの匂いが混ざり合う空間に、重苦しい沈黙が落ちていた。
バルトの後ろに潜んでいた手下どもは、ゴルドの圧倒的な威圧感に気圧され、壁際に張り付いたまま身動きが取れずにいる。
「……ちっ、ゴルドの野郎を連れてくるとはな」
バルトは苦々しい顔で舌打ちをし、木箱を跨いでレオンの正面にある椅子へドカリと腰掛けた。
「で? スラムのガキが、俺にどんな大層な『取引』を持ちかけようってんだ?」
「そう身構えるなよ、バルトさん」
レオンは静かな仕草で、木箱の上に両手を重ねた。
生意気なガキの態度でも、荒くれ者の威嚇でもない。西麻布の個室で、億単位の予算を握るオーナーや出資者を相手に交渉を行っていた頃の冷徹で穏やかなプロの佇まいだ。
「俺たちが求めるものはシンプルだ。あんたの持つ『流通網』と『安定した食材の供給』。そして俺が提供するのは、その食材を劇的に価値向上させる『技術』と『ブランド』だ」
「……技術とブランドだぁ?」
バルトの目がピクリと細くなる。
「ああ。あんたも商売人なら分かっているはずだ。うちの屋台で出している肉は、スラムで誰も買わない廃棄寸前のオーク肉だ。だが、俺の手にかかれば、王都の高級店をもしのぐ極上のステーキに変わる」
「……確かに、あの味は異常だった。だがな、ガキ。そのレシピ(種明かし)さえ俺が手に入れりゃ、俺の手下を使っていくらでも安く大量生産できるんだよ」
「できないね」
レオンは即座に、一切の揺らぎもない声で切って捨てた。
「……なんだと?」
「下処理の段階での微妙な温度管理(低温調理)、ハーブの組み合わせ、そして酒を使った加熱のタイミング。これらは長年の現場で叩き込んだ『職人の勘と経験』がすべてだ。ただ手順を書いた紙を渡したところで、あんたの手下が作れば焦げたゴミ肉にしかならない」
「――っ」
バルトが息を飲んだ。
レシピさえ奪えばいいという素人考えを、根本から叩き潰されたからだ。
「俺を殺すか拘束して吐かせようとしても無駄だ。俺という『シェフ』がいなくなれば、その瞬間に金を生み出す卵は割れる。……あんたが得られるのは、ただのゴミ肉と、俺の用心棒を敵に回すリスクだけだ」
レオンの後ろで、ゴルドが凶悪な笑みを浮かべ、首の骨をゴキリと鳴らした。
バルトの額から、じわりと冷や汗が滲み出る。
この10歳のガキは、自分の価値を完璧に把握し、こちらの狙いもすべて見透かした上でテーブルについている。
「……チッ。で、具体的にどんな条件だ」
バルトが折れた。
「条件は三つだ」
レオンは指を一本立てた。
「一つ、安価な魔獣肉やホルモン(内臓)、処分に困っているハーブや安酒を、俺に優先的かつ破格で回すこと。二つ、売り上げの二割を仕入れ代金および流通手数料としてあんたに支払う。そして三つ……」
レオンはバルトの目をまっすぐに見つめた。
「俺の許可なく、この調理法を他所に漏らさない独占契約だ。従うなら、あんたは座っているだけで、毎月まとまった銀貨が転がり込むことになる」
倉庫の中に、バルトが喉を鳴らす音が響いた。
リスクなしで転がり込む確実な利権。商人の頭の中で、そろばんの玉が弾け飛ぶ。
「……よし、乗った。交渉成立だ、ちびっ子シェフ」
バルトが差し出してきた脂ぎった手を、レオンは静かに握り返した。




