第8話 香草と青い炎
スラムの路地裏には、すでに昨日を遥かに超える人集りが出来上がっていた。
「おいガキ! 今日もあの肉喰わせろ!」
「昨日食えなかったんだよ! 頼むから俺の分を残しておいてくれ!」
胃袋を刺激された貧民どもが、銅貨を握りしめて押し寄せてくる。
人混みの後方には、昨日の終わり際にラスト一皿を競り落とした革鎧の男、冒険者ギルドの仲買人らしき男も、興味深そうに腕を組んで立っていた。
「へいへい、順番を守りな。押し合ったら肉は売らねえぞ」
レオンは冷ややかに言い放ちながら、自家製調理台の鉄板に火を入れた。
取り出したのは、昨夜からハーブの葉を擦り込み、安酒に漬け込んで【微火】でじっくり低温調理を施したオーク肉だ。
包丁を入れ、厚切りに切り分けた瞬間、立ち上ったのは、ただの肉生臭さではない。タイムに似た爽快な青い香りと、熟成されたアミノ酸の甘い匂いだった。
「な……なんだ、今日の肉は? 匂いが昨日と違うぞ……!?」
最前列にいたゴルドが、鼻をひくつかせて目を見開く。
「フン……違いが分かるなら上出来だ。仕上げ(アロゼ)に入るぞ」
十分に熱した鉄板に、オークの澄んだ脂をひく。そこへ、ハーブの香りをまとった厚切り肉を並べた。
ジューッッ!! という激しい音とともに、甘く爽やかな香気が一気に爆発する。それだけではない。仕上げの直前、レオンは懐から取り出した小瓶の安酒を、鉄板の肉の上へ一気に振りかけた。
「――っ!?」
ジュワッ! と音を立てて蒸発する酒精。
次の瞬間、薪の火が酒の蒸気に引火し、鉄板の上でゴオッ!と鮮やかな青い炎が立ち上った。
「うわあああ!? 火事だ!?」
「魔法か!? ガキが魔法で肉を燃やしてるぞ!?」
客たちが悲鳴を上げて後ずさりする。
だが、レオンは不敵に笑いながら、手慣れた手つきで鉄板を揺らし、アルコール分だけを瞬時に飛ばしていく。
『フランベ』。
西洋料理において、アルコールを飛ばして酒の旨味と香りを肉に定着させると同時に、表面を瞬時に香ばしく焼き上げる技法だ。
炎がスッと消え去った後、鉄板の上に残されていたのは、深みのある褐色に焼き上がり、表面からハーブと熟成酒の官能的な湯気を立てる至高の肉塊だった。
「騒ぐな。これがプロの『火入れ』だ」
レオンは包丁で肉を切り分け、呆然と立ち尽くすゴルドの手に木片ごと押し付けた。
「喰ってみろ。昨日との『格の違い』を教えてやる」
ゴルドはゴクリと生唾を飲み込み、震える手で熱々の肉片を口へ放り込んだ。
噛みついた瞬間――男の体全体が、落雷に打たれたように強張った。
「――ぶっ!?」
昨日以上の柔らかさはそのままに、噛みしめるたびに弾ける肉汁。
そこに、ハーブの清涼感が重なり、肉の重たい脂っぽさを完璧に打ち消している。さらに後味には、フランベによって凝縮された果実酒の甘やかで上品な余韻が鼻を突き抜けていく。
「な……ななな……なんだこれええぇぇっ!?」
ゴルドは頭を抱えて叫んだ。
「美味ぇ……! 昨日より美味ぇぞ!? なんなんだこの草の匂いは! なんでこんなに後味がスッキリしてやがるんだ!!」
「脂の重さをハーブの香りで切り、酒で深みを出した。……これが『アロマ』の力だ」
レオンがフッと口元を緩めた瞬間、後方で様子を見ていた革鎧の男が、目をギラつかせながら人混みを割り込んできた。
「おい、ちびっ子シェフ……! あんた、一体何者だ……!?」
スラムの路地裏で、三つ星の技法がさらなる衝撃を巻き起こしていた。




