第87話 船出
出航の日の朝。グランの港は、朝靄を貫く澄み切った秋晴れに恵まれていた。
沖合に佇む超大型魔導保冷船『アルティザン号』からは、試運転を兼ねた重厚な蒸気が白く吹き上がっている。甲板では、エレナが最終的な魔導回路のチェックに走り回り、新しく加わったシェラが自分の長剣の手入れをしながら海風に目を細めていた。
桟橋には、レオンたちの見送りのために大勢の人々が集まっていた。
「シェフ……! いよいよですね……!」
駆け寄ってきたルカの腰には、昨夜レオンから譲り受けた一振りの包丁が、誇らしげに収められていた。その隣には、少し寂しそうに微笑むリゼと、甘いシロップ入りのジュースグラスを傾けるマルニの姿もある。
「王都の店も、コールドチェーンの流通網も心配いらないわ」
マルニがいつもの不敵な笑みを浮かべて前に出る。
「ルカもリゼも、もう立派な一人前よ。あなたが世界中で見たこともない食材や料理を見つけて戻ってくるまで、この国の食文化は私たちが何倍にも大きくしておくわ」
「ああ、頼むよ、マルニ」
レオンは静かに微笑み、仲間たち一人ひとりと視線を交わした。
「シェフ! 海外で珍しいお菓子や果物を見つけたら、絶対レシピを送ってくださいね!」
「ああ、真っ先にリゼへ送るよ」
「……シェフ。俺、絶対に『ガストロノミー・レオン』の名を汚しません。シェフが世界一だってことを、この国で証明し続けます!」
深く頭を下げるルカの肩を、レオンは力強く一度だけ叩いた。
「お前なら大丈夫だ、ルカ。……店を任せたぞ」
* * *
ボーーーッ!!
アルティザン号の重厚な汽笛が港中に響き渡り、いよいよタラップが引き上げられた。
船の先端、風が吹き抜ける甲板の最前線にレオンが立つ。その両脇には、船長代わりに操舵輪を握るバルト、機関室から顔を出して手を振るエレナ、そして「おいシェフ、腹減ったぞ!」と早くも催促するシェラの姿があった。
「野郎ども! 出航だーーッ!!」
バルトの威勢の良い号令とともに、白い波飛沫をあげて巨大な船体が岸壁を離れていく。
遠ざかる桟橋で、ルカたちが、グレンたちが、そして港の人々が大きく手を振っているのが見えた。
かつて、街角の小さな屋台から始まった男の挑戦。
冷たい氷の魔法と現代のロジックで王国全体を魅了した料理は、いまや一国の枠を飛び出し、世界の海へ、未知のダンジョンへ、そして未だ見ぬ美食の大陸へと繋がっていく。
「さて……次はどんな食材に出会えるか」
水平線の彼方、青く輝く未知の大海原を見つめながら、レオンは胸の奥で静かに情熱の火を燃やした。
『三つ星シェフ、街角の屋台から始める異世界グルメ』――第一部・王国革新編 完。
(第二部・世界航海&魔境ダンジョン編へ続く)




