第86話 孤高の護衛
グランから戻ったレオンたちは、王都の『ガストロノミー・レオン』で旅立ち前の特別営業に追われていた。
看板メニューの熟成肉やクラフトコーラはもちろん、試作で披露された『氷海竜の角煮』まで特別に提供され、店前には夜遅くまで長蛇の列が途切れることはなかった。常連の貴族からスラムの顔役、さらには近隣の料理人たちまでが訪れ、レオンとのしばしの別れを惜しみながら至高の味に酔いしれた。
「シェフ、仕込み分の角煮、完売です!」
厨房で汗を拭うルカの顔には、もう迷いはなかった。立派に何人もの若手を仕切り、店を回すその姿に、レオンは静かに目を細める。
* * *
深夜。営業を終えて静まり返った店内に、グレンが一人の女性を伴って入ってきた。
身軽な革鎧の上に使い込まれた深い緑のケープを羽織り、腰には長大な大剣を差している。鋭い眼光と隙のない立ち振る舞い。全身から漂うタフな気配は、場数を踏んできた一級の冒険者そのものだった。
「レオン、紹介するぜ。これから外洋や未知の大陸へ出るなら、船に一人は『本物の狩人』が必要だろ? ギルドでも一目置かれてる一匹狼の凄腕、シェラだ」
「シェラだ。……グレンから話は聞いた」
シェラは低い声で短く名乗ると、品定めするようにレオンをじろりと見上げた。
「正直、断るつもりよ。シェフの護衛なんて退屈そうだし。私はダンジョンの最深層や極地に潜って、見たこともない強大な魔物を狩るのが性分だ。……船の上で甘やかされた料理人の子守なんて御免だね」
一切の追従もない素直な言葉に、バルトが苦笑いを浮かべる。だが、レオンは立腹するどころか、静かに台所のコンロへ火をつけた。
「子守のつもりはないさ。……遠征先で出会う未知の魔物を狩り、その肉のポテンシャルを現場で見極めてくれる人間を探していた。……腹は減っているか?」
「……まあな。仕事帰りだからな」
レオンは小さく切り分けた『氷海竜の角煮』を素早く温め直し、艶やかなタレを絡めて小鉢に盛ると、カウンター越しにシェラへ差し出した。
「賄いだ。食ってみてくれ」
「ふん……見た目は悪くないが、竜の肉なんて固くて食えたもんじゃ……」
シェラは半信半疑のままフォークで肉を突いた。その瞬間、抵抗なくすっと刃が通り、肉が崩れたことに微かに目を見張る。
そのまま一口、口の中へ運んだ。
次の瞬間。
「っ!?」
シェラの全身が硬直した。
極寒の深海で鍛え上げられた強靭な筋繊維が、信じられないほどトロトロに解け、濃厚なコラーゲンと旨味の濁流となって口内に溢れ出す。醤油の芳醇なコク、柑橘の爽やかさ、そして遅れてやってくる『焔果実』の激しいピリッとした刺激。
「な、なにこれ……!? 竜の肉の臭みが完全に消えてて……噛まなくても勝手に溶けてく……!? この辛さと甘さ、頭がどうにかなりそう……っ!」
さっきまでのクールな態度はどこへやら、シェラは目を丸くし、夢中で小鉢の肉をかき込んだ。タレの一滴まで残さず平らげると、はっと我に返って頬を朱に染める。
「……あ、コホン。……悪くない味ね」
「そうか。……旅先じゃ、これ以上の魔物肉をいくらでも調理するつもりだ」
レオンが不敵に口元を緩めると、シェラは勢いよくカウンターを叩いて立ち上がった。
「決まりよ! その依頼、引き受けるわ! どんな危険なダンジョンだろうが、凶暴な魔獣だろうが、全部私が叩き伏せて肉を調達してあげる! ……だから、毎日私に美味しいご飯を作りなさい!」
「交渉成立だな」
呆気にとられるグレンたちをよそに、レオンとシェラは力強く手を握り合った。
圧倒的な戦闘力と狩りの知識を持つ、心強すぎる護衛。
世界を巡る旅へ向け、最高の仲間がまた一人加わったのだった。




