第80話 黒船来航
王都を包んだ『クラフトコーラ』の狂熱も冷めやらぬ、ある日の早朝。
『ガストロノミー・レオン』の厨房で視察をしていたレオンのもとへ、息を切らせたバルトが飛び込んできた。
「シェフ、大変だ! グランの町長から緊急の特使が届いた!」
「グランから? ……また旧ギルドの残党か?」
「違う、そんな甘いもんじゃねえ……! 港の沖合に、見たこともない『漆黒の巨大船』が現れたんだ!」
バルトがテーブルに叩きつけた手紙には、乱れた文字で異様な事態が記されていた。
鉄と巨木で組まれた見たこともない巨大な船体。煙突からは黒い煙が吐き出され、甲板には巨大な魔導砲が並んでいるという。遠く西の大洋を越えてやってきた異大陸の国家、『サン・バルド帝国』の外交艦隊だった。
「戦争ですか……!?」
仕込みの手を止めたルカが、顔を強張らせる。
「いや、向こうもいきなり大砲をぶち込んでくる気はないらしい。……だが、港を艦隊で威圧しながら『王国政府との直接交渉』を要求してきている。断れば、そのまま海上封鎖に移行する構えだ」
* * *
その日の午後。王都の二階事務所には、尋常ではない緊迫感が漂っていた。
紅茶を優雅に飲むマルニ、険しい顔のバルト、そして急ぎ駆けつけたヴォルフ。さらには、王立の物流監察局から遣わされた高級官僚までが顔を揃えていた。
「事態は深刻よ」
マルニがため息をしながら、地図の上に一枚の羊皮紙を重ねた。
「我が王国と帝国……お互いに軍事衝突は避けたいのが本音ね。だが、ここで一歩でも引き下がり、舐められた条件で条約を結ばされれば、王国の経済は破綻する。政府の上層部は、開戦前夜のピリついた空気で胃を痛めているわ」
「で、その解決策として……俺たちに白羽の矢が立ったというわけか?」
レオンが尋ねると、監察局の官僚が深く頷き、懇願するように頭を下げた。
「はい……! 双方が武器を収め、対等な立場でテーブルに着くための『両国親睦の晩餐会』をグランで開催することが決定いたしました。ですが、相手は軍威を誇示するため、自国から持ち込んだ『見たこともない奇妙な食材』を突きつけ、我が国の食文化を試す気です!」
「異国の食材……?」
「ええ。『白い小粒の穀物』や、大豆を発酵させたという『漆黒の極濁調味料』……我が国の宮廷料理人たちは、その匂いと扱いに呆気にとられ、誰ひとりまともな献立を立てられずにいます!」
その言葉を聞いた瞬間、レオンの瞳の奥で小さな火が点った。
米。そして、醤油。
元現代人であるレオンにとって、それは懐かしく、そして何よりも扱い慣れた「至高の食材」に他ならなかった。
* * *
「断る理由はないな」
レオンは静かに立ち上がると、作業台の包丁ケースを引き寄せる。
「両国の戦争を回避し、さらにその未知の食材を我が国の食文化に取り込めるなら……料理人として、これ以上の仕事はない」
「シェフ……! 俺も行きます! 異国の料理なんて想像もつきませんけど、シェフの背中についていきます!」
ルカが熱い眼差しで胸を張ると、エレナも工具箱を抱えて身を乗り出した。
「私も行くわ! あの巨船の構造も気になるし、保冷馬車の特注温調型を突撃整備してあげる!」
「ふふ、頼もしいことね」
マルニが満足そうに笑みを浮かべ、バルトが力強く拳を握りしめた。
「よし、野郎ども! 王国の命運をかけた『グラン親睦晩餐会』の仕込みだ! 保冷馬車隊、全車出動の準備をしろ!!」
かつてない巨大な政治の嵐と、未知の食文化。
一触即発の国境の港町グランへ向け、レオンたちの新たな挑戦が幕を開けようとしていた。




