第78話 漆黒の泡
黒マグロ狂想曲の興奮が冷めやらぬ翌日。
『ガストロノミー・レオン』の厨房で、レオンはひとり、小鍋に敷き詰めた砂糖と向かい合っていた。
じわじわと加熱され、粘り気のある褐色から漆黒へと色を変えていくカラメル。甘香ばしい焦げた匂いが鼻腔をくすぐる。
「シェフ、一体何を作ってるんですか……? ソースの仕込みにしては、香辛料の量が異常ですけど」
仕込みに入ってきた二代目シェフのルカが、作業台を見て目を丸くした。
そこにあったのは、コールドチェーンの開通によって南方の港町や東部から届いたばかりの希少なスパイス類だ。シナモンスティック、カルダモン、ナツメグ、バニラビーンズ。そして、西部の山麓から届いた強烈な酸味を持つ青い柑橘の搾り汁。
「冷たくて、喉を刺すような黒い飲み物だ。……無性に飲みたくなってな」
「は……? 黒い……飲み物……?」
レオンはスパイスを香りが立つまで軽く炒り、カラメルと柑橘の果汁、そして大量の砂糖とともにじっくりと煮詰めていく。スパイスの複雑な香気と甘酸っぱい匂いが立ち込め、とろみのある漆黒のシロップ、『コーラシロップ』が完成した。
だが、これを冷水で割っただけでは「ただの甘スパイシーなシロップ水」に過ぎない。本質の半分が欠けているのだ。
「ルカ、このシロップを頼む。俺はエレナの工房に行ってくる」
「えっ!? ちょっと、シェフ!?」
混乱するルカを置き去りにし、レオンは出来立てのシロップ瓶を抱えて工房街へと向かった。
* * *
「水に、気体を圧入して炭酸水を作る魔導具……?」
スラム街の端にあるエレナの工房。油と鉄の匂いが充満する作業場で、つなぎ姿のエレナが眉をひそめてレオンを見上げた。
「そうだな。イメージとしては、自然界にある『シュワシュワ弾ける鉱泉水』を、人口的に、しかも強力に作り出す器具だ。冷やした水に高圧で気体を閉じ込める」
「うーん……理論的には可能よ? 風の魔導石と圧縮陣を使えば、密閉した金属筒のなかで水に気体を叩き込むことはできるわ。でも、何のためにそんな面倒なことを?」
「百聞は一見に如かずだ。作ってくれ」
「もう、人使いが荒いんだから……! でも、レオンシェフがそこまで言うなら作ってあげるわよ!」
エレナはすぐさま羊皮紙に図面を書き殴り、頑丈な魔導金属の筒と高圧ノズルを組み立て始めた。職人特有の集中力で、怪しげな真鍮製の筒型魔導具、『魔導ソーダサーバー』の試作機が小一時間で組み上がる。
「よし、できたわ! 耐圧テストもバッチリ! 氷でキンキンに冷やした水をタンクに入れて……スイッチ、オン!」
カチリ、とレバーを引くと、金属筒のなかで『シュコーーッ!』という激しい吐息のような音が響いた。
エレナが恐る恐るノズルを開けると、グラスの中に透明な液体が注がれる。そこには、無数の細かな白い泡が絶え間なく湧き上がり、パチパチと弾けていた。
「きゃっ!? 水が……水が暴れてる!?」
「見事だ、エレナ」
レオンは静かに頷くと、持ち込んだ漆黒のシロップをグラスの底へ注ぎ入れ、氷をふたつ浮かべた。マドラーで一回だけ静かに混ぜ合わせる。
シュワシュワと泡立つ漆黒の液体。氷がグラスの壁面に当たって『カララン』と涼やかな音を立てた。
「さあ、試飲第一号だ」
差し出されたグラスを、エレナはゴクリと唾を飲み込みながら受け取った。




