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第77話 新時代


 グランを出発して丸五日。


 『泥竜の峡谷』での泥臭い妨害を突っはねた大型保冷馬車隊が、ついに王都の大門をくぐり抜けた。


 車輪が石畳を鳴らす音に交じり、荷台の隙間からすうっと白い冷気が流れ出す。その光景に、街道を往来する商人や市民たちが「おい、あの馬車……!」「グランから戻ったのか!?」とざわめき立った。

「レオンシェフ! 無事だったのね!」


『ガストロノミー・レオン』の店前に滑り込んだ馬車へ、エプロン姿のリゼが真っ先に駆け寄ってくる。その後ろからは、包丁を手に握りしめた二代目シェフのルカ、そして腕組みをしたマルニが、期待と緊張の混ざった眼差しで続いていた。


「ああ、ただいま。……エレナの馬車とヴォルフの連中のおかげで、一度も氷を欠かさずに済んだよ」


 レオンが合図を送ると、御者台のバルトと冒険者たちが、重厚な保冷箱の観音扉を力任せに押し開いた。


 ふわり。


 広場全体へ一瞬で広がったのは、山奥の澄んだ空気でも、塩くさい干物の匂いでもない。遠い東の海からそのまま運ばれてきた、本物の「潮の香り」だった。


「うそ……これ、本当に五日前の海の匂い……!?」


 敷き詰められた砕氷の中央で輝いていたのは、漆黒の背と銀色の腹を持つ巨大な黒マグロ。そして、部位ごとに手際よく切り分けられた、美しいピンク色のサシが入った大トロのブロックだった。


 すかさず、レオンとルカが店前に設けた特設のまな板へ肉塊を載せる。


「ルカ、引くぞ。角を立てろ。水分は一滴も逃すな」

「はい、シェフ……!」


 二人の包丁が吸い付くように滑り、鮮やかな朱色と桜色の刺身が瞬く間に皿の上へ並んでいく。仕上げに添えられたのは、ベルグの深山ワサビと鉱山岩塩だ。


 詰めかけた王都の貴族や食通たち、そして物珍しそうに集まった市民たちへ、切り立ての一皿が振る舞われた。


「な……なんだこの滑らかな舌触りは……! 口に入れた瞬間、脂が溶けてなくなる……!?」

「ワサビの爽やかな風味が脂のしつこさを完全に消しているわ! これが、生のお魚なの……!?」


 広場を包んだのは、静寂のあとの爆発的な歓声だった。


 塩漬けでも乾燥ものでもない、海から上がった瞬間の「命の味」が、王都のど真ん中で咲き誇った瞬間だった。



     * * *



 宴が最高潮を迎える中、店の二階事務所では静かな決着がつこうとしていた。


「はい、これで終わりね」


 マルニが一枚の書面をテーブルに放り投げた。峡谷で捕獲された傭兵たちの供述と、関所で押収された不正帳簿。それらを突きつけられた旧商業ギルドの幹部たちは、反論の余地もなく王都衛兵隊によって一網打尽に連行されていった。


「私達を邪魔しようなんて、10年早いのよ」


 マルニが毒づくと、扉を叩いてエレナとバルト、ヴォルフが入ってきた。


「レオン! 王立の物流監察局から正式に許可が出たわ! 王都を中心とした東部・北部・南部の三台幹線……『国家公認コールドチェーン網』の敷設許可よ!」


 エレナが羊皮紙を掲げて歓声をあげる。


 王都から海産物と加工品を送り、地方から採れたての希少食材や農産物を吸い上げる。レオンが思い描いていた「食の循環」が、名実ともにこの王国の新たな血脈として開通したのだ。



     * * *



 夜更け。喧騒が落ち着いた店先で、レオンは冷たい夜風に当たりながら王都の街並みを見渡していた。


 隣にそっと寄り添ってきたリゼが、温かいお茶の入った蒸気立つカップを差し出してくる。


「本当にお疲れ様、シェフ。街角の小さな屋台から始まったあなたの料理が、ついに国中の食卓を変えちゃったわね」

「いや……まだ始まりに過ぎないさ」


 レオンはカップを受け取り、微かに微笑んだ。


「今、猛烈にコーラが飲みたくなった」


 夜空を見上げるレオンの瞳には、すでに次なる「食の未来」が映っていた。


 冷たい風に乗って運ばれてくるのは、王国のあらゆる場所から届く、まだ見ぬ美味の予感だった。

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