第76話 急襲
大宴会の翌朝。グランの港は、朝靄とどこか緊迫した空気で満ちていた。
エレナが組み上げた大型保冷馬車の荷台へ、巨大な黒マグロが丸ごと、そして解体された大トロや赤身のブロックが大量の削り氷とともに丁寧に収められていく。
「温度管理、密閉度、耐震魔法陣……すべてオールグリーンよ! これなら王都まで最高の状態でマグロを運べるわ!」
つなぎの袖を捲り上げたエレナが胸を張る。
「よし、出発だ。王都で最高の一皿に仕上げてやる」
レオンの合図で、バルトが手配した精鋭の馬車隊と、護衛の冒険者たちが動き出した。グランの町長や漁師たちが、手を振りながら「頼んだぞ!」と大声で送り出す。
* * *
グランを出て二日目。湿地帯と険しい岩山に挟まれた、東部街道最大の難所『泥竜の峡谷』。
道幅が狭く、片側が深い断崖絶壁になっているその難所に差し掛かった瞬間、先頭を行く馬が突然いななき、足を止めた。
ガラガラと音を立てて、街道の前後に巨大な落石が落ちてくる。完璧な退路の遮断だった。
「ひひっ、おとなしく馬車を置いて失せな! 命だけは助けてやるぞ!」
岩陰から姿を現したのは、旧商業ギルドが巨額の金で雇い入れた荒くれの傭兵団『ならず者の牙』だった。三十人を超える武装集団が、抜刀して馬車隊を取り囲む。
「チッ……旧ギルドの残党ども、いよいよ見境がなくなってきたな」
馬車の手綱を握るバルトが舌打ちをし、腰の曲刀を引き抜く。
傭兵団の頭目が、不敵な笑みを浮かべながら大型保冷馬車を指さした。
「その怪しげな箱ごと、崖の下へ叩き落としてやるよ! そうすれば俺たちに金が入り、王都の奴らは永遠に干物だけ食ってりゃいいんだ!」
「断る」
レオンが馬車から静かに降り立ち、冷ややかな視線を傭兵頭目に注いだ。
「この箱の中には、グランの漁師たちが命がけで揚げた黒マグロが入っている。……お前たちの浅ましい懐を潤すために台無しにしていい代物じゃない」
「ハッ! ただの料理人が一丁前に語ってんじゃねえよ! 殺せッ!!」
頭目の咆哮とともに、傭兵たちが一斉に飛びかかってきた。
* * *
「やれやれ……シェフの食べ物に手を出すなんて、命知らずにも程があるぜ」
護衛の冒険者たちが、腰の革袋からヴォルフ特製の『エナジーバー』を口へ放り込んだ。
直後、爆発的な動きで冒険者たちが躍り出る。
長旅の疲れなど微塵も感じさせない、研ぎ澄まされた集中力と筋力。ヴォルフの携帯食がもたらす完璧な栄養補給が、彼らの戦力を極限まで引き上げていた。
「な……なんだこの身軽さは!? 連中、五日も街道を走りづくめだったはずだぞ!?」
困惑する傭兵たちを、冒険者たちが一網打尽にしていく。
さらに、傭兵のひとりがこっそり保冷馬車の扉に火炎魔法のスクロールを叩きつけようと忍び寄った瞬間。
シュッ、と風を切る音が響いた。
「ぐはっ……!?」
男の手首に、寸分の狂いもなく刺さったのは、レオンが投擲した一本のフォークだった。
「俺の厨房(馬車)に、汚い火を持ち込むな」
レオンは静かな足取りで男の間合いに踏み込むと、相手の腕を絡め取り、そのまま支え釣込足の要領で冷たい岩肌へ叩きつけた。ドシン!と激しい衝撃音が響き、男は息を詰まらせて撃沈する。
「なっ……なんだあのシェフ……!? 体術まで超一流かよ!?」
十数分と経たずに、三十人の傭兵団は全員が地面に転がり、うめき声を上げる破目となった。
* * *
縄で縛り上げられた傭兵頭目の前で、レオンは静かに保冷箱の蓋を少しだけ開けた。
ヒヤリとした澄んだ冷気とともに、鮮度抜群のマグロの潮香が漂い出す。
「見ただろう。これが、俺たちのつくる新しい時代の流れだ。お前たちがどれだけ暴力を振るおうと、美味いものを求める人間の欲求は止められない」
「くっ……うぅ……」
「バルト、この連中は次の関所で王都の衛兵隊へ引き渡してくれ。旧ギルドの悪事の証拠としてな」
「了解だ、シェフ。……さあ、邪魔者は片付いた。王都へ急ぐぞ!」
岩場を切り開き、保冷馬車隊は再び王都へ向かって力強く走り出した。
グランの海の至宝・黒マグロを乗せた「氷の血管」は、いよいよ王都の美食界を揺るがす最終局面へと向かっていくのだった。




