第74話 巡る
「ルカ、ワサビの茎は細かく叩いて脂の強い部位のソースに回せ。すりおろした根の部位は、食べる直前に肉へ直に乗せる」
「はい、シェフ! ……いや、本当にこの深山ワサビの香気、凄まじいです。肉の脂の重さを一瞬で綺麗にさらっていって、肉本来の強い旨味だけが舌に残る……!」
『ガストロノミー・レオン』の厨房。焼き上がった極上の熟成肉に、ベルグから持ち帰ったばかりの深山ワサビと鉱山岩塩が添えられていく。二代目シェフとして厨房を仕切るルカの手つきには、どこか堂々とした風格が漂い始めていた。
フロアからは、一口食べた客たちのどよめきと感嘆の声が漏れ聞こえてくる。王都の美食家たちが、未だ見ぬ遠くの山奥の味覚に一瞬で魅了されていた。
「大盛況ね、レオンシェフ」
厨房の勝手口からすっと入ってきたのは、スイーツ店『ル・シェル』を任されているリゼだった。その手には、氷を詰めた小箱が大切そうに抱えられている。
「フォスの宿場町から届いた新鮮な山ぶどうと、途中の牧場で保冷馬車に積み込んだ搾りたての山羊乳よ。これで試作した冷製タルト、一口食べてみて」
レオンは差し出された小さなタルトを口へ運んだ。
濃厚な山羊乳のコクのあとに、果実の鮮烈な酸味と甘みが口いっぱいに弾ける。傷みやすい乳製品や果実が、摘みたての鮮度のまま王都へ届いている証拠だった。
「完璧だ、リゼ。これなら王都の貴族たちもこぞって注文する」
「ふふ、ありがとう。レオンが作ってくれたこの『冷たい箱』のおかげで、私たちの表現できる世界が何倍にも広がったわ」
* * *
その夜。事務所には主要メンバーが一堂に会していた。
優雅に紅茶を飲むマルニ、巨大な王国地図をテーブルに広げるバルト、そして黒い油で汚れた手で羊皮紙を叩く魔導技師のエレナ。
「エレナの工房で保冷箱の量産体制は整ったわ。スラムの若い職人たちを雇い入れて、十台の試作型を一気に組み上げてる」
マルニが成果を報告すると、バルトが力強く頷いた。
「御者の手配も万全だ。ヴォルフの冒険者たちが街道の護衛についてくれるから、旧ギルドの残党ごときじゃ手も出せない。すでに東方の港町や、南部の穀倉地帯の領主から『うちにも保冷馬車を回してくれ』と悲鳴のような打診が殺到している」
「でもね、バルトさん」
エレナが身を乗り出し、ギラギラとした職人の目で地図の一箇所を指さした。
「東方の港町グランに繋がる東部街道には、湿地帯と険しい峠が連続する『魔の難所』があるわ。今の保冷馬車のサスペンションと魔導陣じゃ、あそこを越える前に箱が破損するか魔力が底をつく。もっと大型で、揺れを完全に吸収する『大型保冷馬車』の設計が必要よ!」
「なるほど……。単に路線を延ばすだけじゃなく、地形に合わせた物流車両の開発が必要ということか」
レオンは静かに微笑み、地図の上に駒を置いた。
「王都を中心に、東西南北へ伸ばす『氷の血管』。……次は東の港町グランを目指そう。あそこには、まだ王都の誰も見たことがない極上の大物が揚がっているはずだ」
「港町グラン……! あそこの巨大魚を生のまま王都へ運べたら、物流の利益だけで金貨千枚単位で動くわね……!」
マルニの目が怪しく光り、バルトが不敵に笑う。
レオンの描く「食による王国変革」は、一つの成功にとどまることなく、次なる巨大な市場へとその触手を伸ばし始めていた。




