第73話 衰退の街
大熱狂のベルグを後にし、王都への帰路についたレオンたちの保冷馬車隊。
荷台には、ベルグで手に入れた深山ワサビと鉱山岩塩が大切に積み込まれている。
山道を下ること二日目の夕暮れ前。
一行は、かつて主要街道として栄え、いまはすっかり寂れた宿場町『フォス』へと入った。市場の棚にはしなびた根菜が数個転がっているだけで、通りを行く住民たちの顔にも活気がない。
「シェフ、今日はここで馬を休めましょう」
御者の案内に頷き、町で唯一営業している小さな宿屋の食堂へ入ったレオンだったが、運ばれてきたのはお湯のように薄いスープとカチカチのパンだけだった。
「すまねえな、お客さん……。いま、このあたり一帯の食材が買い占められててな」
やつれた顔の店主が溜息を吐く。
旧商業ギルドの残党が、コールドチェーンに対抗して近隣の肉や干物を強引に買い占め、人工的に物価を吊り上げて利益を貪っていたのだ。
そこへ、バンッと音を立てて店の扉が叩き開けられた。
「おい親父! 『流通協力金』の払いだ! 出せねえなら、この店の権利書をもらうぞ!」
押し込んできたのは、胸に旧ギルドの紋章をつけた柄の悪い男たちだ。怯える店主を横目に、男の首領格がチラリと外の保冷馬車を見やり、不快そうに舌打ちをした。
「チッ……あんな変な箱で生の魚なんか運びやがって。おかげで俺たちの塩干物がさっぱり売れねえんだよ!」
「人の店で大声を出すな」
レオンは静かに立ち上がると、保冷箱から取り出しておいた『深山ワサビ』の葉と、わずかに残っていたアジの切り身を厨房へ持ち込んだ。
「何をする気だ、あんた……?」
「料理だよ。腐った利権に頼らなくても、街に美味いものは届く」
レオンは固いパンを薄く削いで軽くあぶり、その上にすりおろしたワサビと岩塩で和えたアジの身を乗せた。香ばしい脂と爽烈な辛味が、一瞬で貧しい食堂を満たす。
差し出された一皿を、半信半疑で口に含んだ集金屋の男が、絶句して目を見開いた。
「な……んだこれは!? パンの香ばしさと、魚の旨味が……!?」
「明日からこのフォスも、俺たちの保冷馬車の定期ルートに組み込む。お前たちが買い占めた腐りかけの干し肉など、もう誰も買わなくなるぞ」
レオンの冷徹な宣告と圧倒的な食の前に、男たちはぐうの音も出ず、逃げるように店を飛び出していった。
* * *
翌朝、フォスの街を後にしてしばらく走ったところで、峠の関所に差し掛かった。
行きは素通りできたはずの関所に頑丈な木柵が下ろされ、何十人もの役人と私兵が刃を光らせて待ち構えている。
「止まれ! その怪しい馬車、帰りは通せねえよ!」
あからさまな裏金顔の役人が前に出ると、横柄に言い放った。
「お前らが勝手に生の魚を配ったせいで、旧ギルドが大損したんだ。王都への流通規格違反として、積荷の全量没収と金貨五十枚の罰金を支払ってもらう!」
バルトの手配した護衛たちが苛立ちから腰の剣に手をかけるが、レオンはそれを静かに手で制し、歩み出た。
「没収、か」
レオンは冷ややかな視線で役人の顔、そして背後の私兵たちの足元をじっと見つめた。
「あんたの頬の腫れと、呼吸に混じる酸臭……劣悪な塩漬け肉の腐敗毒による重度の歯槽炎症だ。後ろの私兵たちも全員、消化不良で肌が荒れている。原因は旧ギルドの『腐りかけの保存肉』の常用だ」
「な……なにを急に……っ!?」
「法を口にするなら教えてやる。王国流通法第三条『有害な食材の流通禁止』……あんたらが守ろうとしている腐敗した保存食こそ、領民を蝕む毒だ。対して俺たちの保冷箱は極上の鮮度を保ち、病の根源を絶つ。……王都の衛生監察局にこの場で報告書を送られて、困るのはどちらかな?」
ぐうの音も出ないロジックと眼力に、役人はダラダラと冷汗を流し言葉を詰まらせた。
「く……くそっ! やっちまえ! 馬車ごと谷底へ叩き落とせ!!」
居直った役人が叫ぶと同時に、物陰から刺客が一斉に飛び出してきた。
「やれやれ……話の通じない連中だな」
レオンが溜息をつくと、護衛の冒険者たちが不敵に笑った。
「待ちくたびれたぜ、シェフ。……体力が余って仕方ねえんだ!」
激しい衝撃音が響き渡る。万全のコンディションの冒険者たちは、一瞬で刺客たちを叩きのめし地面に転がしていった。
「ひ、ひいいいっ!?」
腰を抜かした役人の首元へ、レオンがゆっくりと歩み寄り、冷めた目で言い放つ。
「関所を開けろ。……俺たちの邪魔をするな」
役人は狂ったように首を縦に振り、開門のレバーへとすがりついた。
* * *
数日後。無事に王都へ帰還したレオン。
『ガストロノミー・レオン』の厨房では、二代目シェフとなったルカが、レオンの持ち帰った『深山ワサビ』と『鉱山岩塩』を手に目を輝かせていた。
「すごい……ツンと抜ける香りと力強い塩気……! 王都の肉の脂と合わせたら、絶対に化けます!」
「ああ。これからは王都から海産物を送り、地方から希少食材を持ち帰る。……『双方向のコールドチェーン』の完成だ」
二階の事務所で報告を聞いたマルニは、煙草の煙を吐き出しながらフッと笑った。
「寂れた街に配送ルートを作って、関所では役人を叩き潰したんですって? ……ほんと、どこが『ただの料理人』なんだか」
「美味いものを守り、届けるためなら、手段は選ばないさ」
レオンは静かに微笑むと、手元の王国地図をなぞった。
王都、フォス、ベルグを結んだ『氷の流通網』。
それはやがて、王国全土の胃袋と経済を繋ぐ、巨大な血管となって広がっていくのだった。




