第71話 燃える瞳
エレナの工房は、連日連夜、怪しい光と金属音が鳴り響く不夜城と化していた。
「冷気漏れ防止のラバーパッキンに魔導油を塗り込んで……よし! レオンシェフ、二重隔壁の密閉度はこれで完璧よ!」
顔に黒い油を塗りたくったエレナが、胸を張って目の前の物体を指さした。
完成したのは、重厚な木枠を特殊な金属と断熱材で包み込んだ、馬車積載用の巨大な保冷箱試作一号機だ。
上部には氷室魔晶石をセットするスロットがあり、内部にはレオンの発案した空気の対流路が緻密に掘り込まれている。
「……見事な仕事だ、エレナ。冷やす魔法の出力を三段階に切り替えられるダイヤルまで付けたか」
「ふふん、伊達にレオンシェフのファンやってないわよ! 食材によって最適な温度帯が違うってシェフが言ってたからね。お肉用、お魚用、果物用で内部温度を微調整できるようにしておいたわ!」
「手際が良いのは認めるけど……あんた、ちゃんと寝てるの?」
差し入れのサンドイッチを持って入ってきたマルニが、呆れ顔でエレナの目の下の隈を覗き込んだ。
「睡眠なんて後回しよ! シェフの理想を形にするためなら、私、三日は徹夜できるわ!」
* * *
翌日、王都郊外の荒れ果てた街道で、保冷箱の走行実証テストが行われた。
ガタガタと激しく揺れる馬車の荷台。箱の中には、試験用に用意された氷と、温度変化で色が変化する試薬の瓶が並べられている。
「馬車の振動で内部の対流路が目詰まりしたり、魔導陣の接続が切れたら一発で終わりよ……!」
走る馬車の中で、エレナが祈るように箱にへばりつく。横で静かに揺れに耐えていたレオンが、ふとダイヤルの数値を手で確かめた。
「大丈夫だ。揺れによって冷気の循環がかえって促進されている。エレナが組み込んだ耐震魔法陣も機能しているな」
一時間の激しい悪路走破を終え、馬車が停止する。箱の蓋を押し開けると、中からヒヤッと澄んだ冷気が溢れ出してきた。
中の氷はほとんど溶けておらず、試薬も適正温度を示す鮮やかな青色のままだった。
「やっ……やったあああ!! 大成功よ!!」
エレナが飛び上がり、感極まってレオンの首に勢いよく抱きついた。
「レオンシェフ! 見た!? 私やったわ! これで王都の生の魚が、内陸の街まで届くのよ!!」
「ああ、素晴らしい精度だ、エレナ」
レオンが優しくその肩を叩いて宥めようとした、まさにその時。
* * *
「ちょっと、いつまで抱きついてるのよ!!」
馬車の外で待機していたマルニが、目にも留まらぬ速さで荷台に飛び乗ると、エレナの首ねっこを掴んで強引に引き剥がした。
「痛たたっ! なにするんですかマルニさん! 偉業を成し遂げたパートナー同士の熱いハグじゃないですか!」
「ハグの域を超えてるでしょうが! 顔が近すぎるのよ!」
肩で息をするマルニに対し、エレナはニヤリと不敵な笑みを浮かべると、急に自分のつなぎの胸元を整え、レオンに向かってしなだれかかった。
「……ねえ、レオン。私、気づいちゃったんです」
「なにをだ?」
「シェフって、王都一の料理人で、いまや屋台街もスイーツも携帯食も手中に収めてて、これから全国の物流まで牛耳る大資産家じゃないですか。おまけに顔も良くて包容力も抜群……」
エレナは瞳をキラキラと輝かせ、両手を胸の前で合わせた。
「私、シェフの専属魔導技師として、一生美味いもん食わせてもらいながら玉の輿に乗って添い遂げたいです! 結婚してください!!」
「なっ……!!?? あんた何冗談言ってんのよ!!?」
マルニの顔が真っ赤に跳ね上がった。
「ちょっとレオン! こんな行き遅れのミーハー職人の戯言、真に受けちゃダメよ!? だいたいあんたにはあたしという立派なビジネスパートナーが」
「ちょっとマルニさん、『行き遅れ』は余計です! それにビジネスパートナーなら私だって今日からそうですー! ねえシェフ、私と結婚したら毎日保冷箱作り放題ですよ!?」
「誰が保冷箱でプロポーズするのよ!! 離れなさい、この泥棒ネコ!!」
ガチでエレナを引っぺがそうと腕を引っ張るマルニと、レオンの腕にしがみついて離れないエレナ。激しいキャットタワーのような揉み合いが馬車の上で繰り広げられる。
「……ふ二人とも、落ち着け。冷気が逃げる」
レオンが困惑気味に保冷箱の蓋を閉めながら呟く声は、ギャーギャーと騒ぐ二人の怒号にかき消されていくのだった。
* * *
数日後。ドタバタ劇を経て完成した三台の保冷馬車が、王都の港に並んでいた。
箱の中に詰め込まれたのは、今朝揚がったばかりの銀色に輝くサバとアジ、そして採れたての貝類だ。
運送を仕切るのは、バルトが手配した精鋭の御者たち。そして道中の護衛には、ヴォルフの『命糧』を懐に忍ばせた冒険者たちがつく。
「目的地は内陸の鉱山都市ベルグだ。……出発しろ!」
バルトの合図とともに、車輪が力強く動き出す。
王都の生の味覚を、未だ見ぬ遠くの街へ。
この世界の食の歴史を根底から塗り替える「コールドチェーン第一便」が、朝靄の街道へと静かに駆け出していった。




