第70話 氷を抱く箱
「要するに、王都の生の食材を腐らせずにそのまま遠くの街まで運ぶ『冷え続ける箱』を作りたい、ってわけね?」
事務所のソファでマルニが面白そうに目を細めた。
「ああ。氷室魔法や高価な魔晶石をただ使うだけじゃコストが合わない。断熱構造と冷気の循環を組み合わせた、馬車に積める保冷箱が必要だ」
「相変わらずスケールが大きいこと考えてるわね……。いいわ、あんたのその無茶振り、ぴったりの腕利きに繋いであげる」
マルニがそう言って連れてきたのは、職人街の裏通りに工房を構える女性魔導具職人エレナだった。
油と煤で汚れたつなぎを着て、ボサボサの髪を乱雑に束ねた若い女性だ。大手ギルドの型にはまったやり方に反発して飛び出した異端児だが、その技術力と発想力は誰もが認める本物だった。
「マルニさん、急に呼び出して何の用……って、え……? うそ、ちょっと待って……!?」
工房の奥から不機嫌そうに出てきたエレナだったが、マルニの隣に立つレオンの顔を見た瞬間、目を見開いて固まった。
「あ、あなた……あの『ガストロノミー・レオン』のレオンシェフ……!? 私、先月奇跡的に予約が取れて食べたあの熟成肉のソース、衝撃で三日間ずっと夢に見たくらい大ファンなんですけど!!」
さっきまでの無愛想な態度が一変し、エレナは顔を真っ赤にしながらレオンの手を両手でギュッと握りしめた。
「えっ、今日もしかして私にお料理を作ってくれに……!? あ、サインとかいただけますか!?」
「おいおいエレナ、サイン会に来たんじゃないのよ」
グイグイとレオンに詰め寄るエレナの背中を、マルニがどこか冷ややかな目で見つめ、二人の間にサッと割って入った。
「あたしの男……じゃなくて、あたしたちの大事なシェフにそんな気安く触らないでくれる? 今日はあんたに『頼みたい仕事』があって連れてきたんだから」
「ちょっとマルニさん、嫉妬ですか? いいじゃないですか、目の前にあの伝説のシェフがいるんですよ!?」
「はいはい、ヤキモチじゃないわよ。……レオン、こんなミーハーで大丈夫なの?」
マルニが少しだけ不機嫌そうに唇を尖らせながらレオンを振り返る。レオンは苦笑しながらも、持参した羊皮紙をエレナの作業台の上に広げた。
「エレナ。実は、馬車に積み込める特殊な『保冷箱』を作りたいんだ」
広げられた図面には、レオンが描いた二重構造の壁面と、冷気を効率よく巡らせる対流の構造が細かく示されていた。
「これ……! 魔法で直接冷やし続けるんじゃなくて、二重構造の断熱と空気の循環で『冷気を逃がさない』仕組み……!? 凄すぎる……こんな発想、ウチのギルドの古臭い頭じゃ絶対に出てこないわ!」
料理のファンから一転、一人の職人の目に戻ったエレナが、目を輝かせて図面を見入る。
「冷やす温度帯も食材ごとに調整できるようにしたい。……この『氷の箱』、君の技術で形にしてくれないか?」
「もちろんやります!! レオンシェフの頼みなら、徹夜してでも絶対に最高のものを作ってみせます!」
力強く胸を張るエレナと、それを見て「……調子いいんだから」と小さく溜息をつくマルニ。
レオンの新たな挑戦、王国規模のコールドチェーン(低温流通網)開発が、こうして賑やかに動き出したのだった。




