第69話 新たな地平線
氷点下の冷気が渦巻く、難関ダンジョン『氷狼の巣穴』の最深部。
「ハッ……ハッ……クソッ、今回の遠征は流石に堪えたな……」
大剣を地面に突き立て、Sランク冒険者のグレンが荒い息を吐き出していた。猛吹雪と魔物の執拗な襲撃により、体温もスタミナも限界を迎えていた。
「グレン、これを使って!」
最上級魔導師のセリアが差し出したのは、羊革の小袋から取り出した茶色いキューブ、ヴォルフが手掛けた濃縮スープキューブだった。
魔法の火で温めたわずかなお湯にキューブを投げ込むと、一瞬で濃厚な肉のコクとスパイスの香りが雪洞の中に広がった。二人で一気に飲み干すと、腹の底からカッと熱が湧き上がり、固まっていた指先に血が巡っていく。
「……すげえな。ヴォルフの野郎、本当に命を救ってくれやがった」
「ええ。一口サイズのエナジーバーも完璧だったわ。集中力を切らさずにここまで潜り切れたなんて、過去最高効率よ」
数日後、無傷で過去最高の戦果を挙げて帰還したグレンたちの報告により、冒険者ギルドにおけるヴォルフの携帯食事業『命糧』の評価は決定的なものとなった。
スラムの加工工房はフル稼働となり、かつて行き場のなかったスラムの若者たちが、誇りを
持って手際よく製品を仕上げていた。
* * *
一方、王都の表通りでも頼もしい変化が起きていた。
『ル・シェル』の店頭では、リゼが開発した季節限定の『濃縮果汁のジュレ』が大爆発的なヒットを記録。自ら育てた若手職人たちに囲まれながら、堂々と店舗を仕切るリゼの姿には、すでに王都トップのパティシエとしての威厳すら漂っていた。
そして『ガストロノミー・レオン』。
レオンから厨房を任されたルカは、レオンの繊細な技術を継承しつつも、自らの感性を活かした「果実とスパイスの余韻を楽しむ肉料理」を提示。訪れた大貴族たちを唸らせ、「二代目シェフもまた天才だ」と王都中にその名を轟かせていた。
二階の事務所で街の喧騒を眺めていたマルニが、隣に立つレオンに話しかける。
「ふふ……リゼもルカも、ヴォルフもバルトも、見事に自分の足で立ち始めたわね。あんたの手離れが良すぎて、あたしの方が拍子抜けしちゃったわ」
「あいつらなら大丈夫だ。俺が教えてやれることは、もう何もない」
レオンは静かに微笑むと、窓の外……王都の遠く広がる街道筋へと視線を向けた。
* * *
「で? 現場を全部あいつらに譲って、当のレオンシェフはこれから何を企んでるのよ?」
マルニがレオンに顔を近づけて尋ねると、レオンは懐から一枚の大まかな王国地図を取り出し、テーブルの上に広げた。
「料理人がどれだけ技術を磨いても、運べる食材の『鮮度』と『保存期間』に限界がある限り、届かぬ場所がある。王都で獲れた新鮮な魚介を遠方の街へ、北の採れたて肉や果実を傷ませずに全国へ運ぶ手立てだ」
「ちょっと……それって、氷室魔導や王国規模の物流インフラそのものを根底からひっくり返す気?」
マルニが目を丸くする。
「ああ。一部の富裕層や王都だけの美食で終わらせるつもりはない。食材のコールドチェーン(低温流通網)をこの世界に構築する。……商業ギルドを潰した今なら、俺たちの手で市場そのものを創り直せる」
現場の厨房から解き放たれ、食文化全体の「未来」を描き始めたレオン。
頼もしい仲間たちの存在を背に、彼の次なる挑戦が、今まさに始まろうとしていた。




