第68話 託される厨房
冒険者ギルド本部の一室は、歓喜と興奮に包まれていた。
「間違いない。これはただの干し肉や固パンの代用品じゃない。冒険者の生存率を跳ね上げる『兵糧革新』だ!」
Sランク冒険者グレンの持ち込んだ『試作携帯食』と『濃縮スープキューブ』を確かめた冒険者ギルド長は、机を叩いて即決した。その場で破格の予算が設定され、ギルド全体の独占供給契約が提示されることとなった。
これを受けて動き出したのが、事業責任者となったヴォルフだ。
マルニの仲介のもと、スラム街に安全で衛生的な専用の加工工房を建設。手先が器用で仕事を探していたスラムの若い若者たちを雇い入れ、厳格な衛生管理と品質チェックのもとで量産体制を整えていく。
「ひとつでも品質が落ちたら冒険者の命に関わるんだ。手抜きは絶対に許さないぞ!」
工房で真剣な眼差しで指導に当たるヴォルフの姿は、すでに立派な事業主の風格を漂わせていた。
* * *
その頃、静まり返った『ガストロノミー・レオン』の厨房。
営業後の仕込みを一人で黙々とこなしていたルカの前に、レオンが静かに歩み寄ってきた。
「……ルカ。手の手を止めて少し話を聞いてくれ」
「ん? どうしたんだい、シェフ。明日使う熟成肉の温度管理なら、もうバッチリ調整してあるよ」
いつものように軽やかな笑顔を向けるルカ。だが、レオンの表情がいつになく真剣であることに気づき、すっと表情を引き締めた。
レオンは冷えたお茶をふたつのグラスに注ぐと、ひとつをルカの前に置いた。
「ルカ。この『ガストロノミー・レオン』の厨房と店……お前にすべてを任せたい」
「……えっ?」
ルカの手にあった包丁が、ピタリと止まった。
「ル・シェルはリゼに任せた。屋台街はバルトが仕切り、新しく始まる冒険者の携帯食事業はヴォルフが頭として動き始めている。……そして俺には、この国の『食の保管と流通』そのものを根底から変える、さらなる構想がある。もうすぐ、この厨房に立ち続けることができなくなる」
「シェフ、それは……」
「お前の料理の腕、客の表情を読む繊細さ、そして何より『ガストロノミー・レオン』の味と哲学を最も理解しているのはお前だ」
レオンはまっすぐにルカの目を見つめた。
「俺の影として終わるか。それとも、この最高峰の店を自分の腕で守り、超えていくか……決めるのはお前だ、ルカ」
ルカは息を呑み、静かに自分の両手を見つめた。
レオンの弟子として、右腕として走ってきた日々。その重みと、憧れのシェフから背中を押されたプレッシャーが、ルカの胸を激しく揺さぶる。
「……シェフ。俺が初めてレオンシェフの料理を食べた日、世界が変わったような衝撃を受けました。あの味を……あの感動を俺の手で作り続けられるなら、これ以上の光栄はありません」
ルカはゆっくりと、しかし迷いのない手つきで包丁をまな板に置くと、深く頭を下げた。
「この『ガストロノミー・レオン』……俺に預わせてください。シェフの名に恥じない、いや、シェフが嫉妬するくらいの最高の皿を出し続けてみせます!」
「いい覚悟だ」
レオンの唇に、確かな手応えを感じた微笑みが浮かぶ。
頼もしい仲間たちにすべての現場を託し、レオンはいよいよ『この世界の食文化の根幹』を揺るがす、次なる壮大な仕掛けへと足を踏み出すのだった。




