第66話 野戦の味覚
静まり返った『ガストロノミー・レオン』の厨房。
大ホールでの壮絶な宴を終えた翌日、レオンはまな板に向かうルカとヴォルフの傍らに立っていた。
「……で、シェフ。次の予約枠で出すメインなんだが、例の熟成肉に合わせるソースを、少し軽めの果実系に切り替えようかと思っててね」
ルカが小刀で果実の皮を剥きながら、伺うような視線を向ける。ヴォルフも手を止め、仕込み用の鍋から上がる湯気の向こうでうなずいた。
「貴族層の客が増えた分、重厚なデミグラスより繊細な酸味を求める声が増えている。火入れの温度も下げて、肉汁の余韻を残す方向で調整したいのですが……」
「悪くない。ソースのベースはそれでいこう」
ふたりの提案に短く応えつつも、レオンの指先は手元の羊皮紙に素早い手つきで記号を書き走らせていた。
「……シェフ? 予約店のメニューにしては、なんだか妙な図面ですね」
ルカが首をかしげて覗き込む。そこに描かれていたのは、料理の盛り付け図ではなく、羊革の小さな袋や真空用の密閉構造、そしてなにやら数字の羅列だった。
「先日、Sランク冒険者のグレンから打診された『携帯食』の件だ。あいつらがダンジョンや魔境に持ち込む食糧の規格を計算していた」
「ああ、あの過酷な現場で食べるやつか……」
ヴォルフが苦笑いを浮かべ、腕を組む。
「冒険者の食糧といえば、塩辛くて硬い干し肉に、木の実入りのカチカチのパン、あとは日持ちのする臭いチーズくらいだろ。手軽にエネルギーを補給するためだけの代物で、とても『料理』とは呼べないな」
「だからこそ、俺たちの技術が入る余地がある」
レオンはペンを置くと、二人に視線を合わせた。
「ただ長持ちするだけの非常食じゃない。一口で脳と筋肉に必要なエネルギーを急速補給し、過酷な戦闘で疲弊した精神まで一瞬で回復させる『戦闘用料理』だ」
* **
一方、商業ギルドの介入が完全に排除された王都の表通りでは、『ル・シェル』がさらなる賑わいを見せていた。
王室公認の看板を掲げた店内では、リゼが自ら育て上げた若い職人たちをテキパキと率い、焼き上がったばかりの「白砂糖のフィナンシェ」を次々と店頭へ送り出している。
「リゼシェフ! テイクアウト用のカルピスゼリー、用意した分がもう半分切りました!」
「慌てなくて大丈夫! 冷やす時間を削ったら味が落ちるから、焦らず次のロットをセットしてね」
凛とした声で現場を捌くリゼの姿には、かつての頼りなさは微塵もない。
二階の事務所でその様子を見下ろしていたマルニは、満足そうにしていた。
「ふん……商業ギルドの古狸どもも、上層部がそっくり入れ替わって大人しくなったものね。これでもう、つまらない嫌がらせに煩わされることもないわ」
完璧に機能し始めた『ル・シェル』の防衛網と経営体制。
足元が完全に固まったことで、レオンたちの意識は本格的に「次なる食の革新」へと向けられようとしていた。
* * *
数日後。『ガストロノミー・レオン』の厨房には、驚くべき香りが充満していた。
香ばしく炒められた高濃度のナッツとスパイス、白砂糖と濃縮カルピスを特殊な配合で煮詰めた高エネルギーペースト、そして超低温で水分を極限まで飛ばし、旨味だけを凝縮させたスパイス肉のキューブ。
「……できたぞ。試作第一号だ」
レオンがテーブルの上に並べたのは、手のひ
らに収まるほど小さな小袋と、手のひらサイズのバー状の固形食だった。
ちょうどその時、厨房の裏口からガタガタと大きな音を立ててグレンとセリアが顔を出した。
「おいおいレオンシェフ! 噂を聞いて跳んできたぜ! 本当に俺たちのための食糧を作ってくれたのか!?」
「ああ。試作品だ。……グレン、セリア、お前たちの舌で確かめてみろ」
グレンは半信半疑のまま、茶色いバー状の固形食を一口かじり取った。
瞬間――グレンの目が、零れ落ちそうなほどカッと見開かれた。
「な、なんだこれ……っ!!」




