第64話 チェックメイト
『ル・シェル』の厨房では、真新しいコックコートに身を包んだリゼが、引き締まった表情で若い職人たちに指示を飛ばしていた。
「生地を捏ねるときに手の温度を移しすぎないで! サクサク感の命は、バターと粉の冷たさの維持なんだから」
「は、はい、リゼシェフ!」
マルニが集めてきたスラム出身の若い職人たちは、最初は緊張でガチガチだったものの、リゼの丁寧で妥協のない指導に応えようと必死に食らいついていた。
リゼが仕掛けていたのは、白砂糖とカルピスをベースにした『白銀タルト』だけにとどまらない。
発酵乳酸菌の爽やかな酸味を活かした「極上カルピスゼリー」や、焼き菓子の香ばしさを極限まで高めた「白砂糖のフィナンシェ」といった、『テイクアウトしやすい新ラインナップ』の開発だった。
単一のヒット商品に依存せず、常に新しい驚きを提供するスイーツブランドとしての地盤が、リゼの手によって着々と固められていく。
* * *
その裏で、商業ギルドが仕掛けてきた「店舗への不審者の侵入」や「食材の輸送馬車への妨害」といった卑劣な工作は、ことごとく不発に終わっていた。
「……ハッ、青くさい小細工しちゃってさ。スラムの裏道で長年飯食ってきたあたしたちに、そんな手口が通じると思ってんのかしらね」
『ル・シェル』の二階事務所で、マルニはギルドから送り込まれた工作員たちの自白調書をパラパラと繰りながら、冷ややかな鼻笑いを漏らした。
彼女の手配したスラムの自警団と独立系ギルドの警護網は鉄壁であり、ギルドが泥沼の工作を行えば行うほど、マルニに弱みを握られる結果となっていた。
* * *
そして同じ頃、レオンは『ガストロノミー・レオン』の深奥で、商業ギルドにとどめを刺すための『次なる構想』を完成させつつあった。
「……レオン、これ、本気なのか?」
屋台の現場巡回から一時戻ってきたバルトが、レオンから渡された数枚の書類を目にして息をのんだ。
「ああ。商業ギルドは『食材の流通』と『店舗の営業権』を握ることで、王都の食文化全体を支配してきた。ならば、その市場構造そのものを上から破壊する」
レオンが提示したのは、王都の最高級貴族や王室関係者を招いた『完全招待制の極上晩餐会』の開催だった。
白砂糖やカルピスをはじめ、レオンの高度な調理技術と圧倒的な美食の数々を、王都の最頂点に位置する権力者たちに直接味わわせる。そして、彼らを『ガストロノミー』および『ル・シェル』の公式パトロンへと引き込む計画だ。
「貴族や王室が俺たちの美食と流通網を正式に公認すれば、商業ギルドの営業停止令も、買い占め工作も、ただの『国家に対する反逆行為』に化ける」
「……なるほどな。裏からマルニが固め、表からリゼが庶民と貴族の胃袋を掴み、最後にお前が最上層の権力を味方につけてギルドの首を括る……ってわけだ」
バルトが身震いするような笑みを浮かべる。
「王都の食の歴史から、あの古狸どもを完全に排除する。詰み(チェックメイト)の準備を始めよう」
静かに告げるレオンの瞳に、勝利を確信した冷徹な光が宿っていた。




