第63話 託される未来
『ル・シェル』の空前絶後のグランドオープンから数日が過ぎた。
連日、開店前から大通りの端まで伸びる長蛇の列は衰えるどころか勢いを増し、『白銀タルト』の名は貴族街の煌びやかなサロンから、スラムの狭い路地裏にまで駆け巡っていた。
一方、面目を潰された『中央商業ギルド』の本部では、裏ルートまでも潰そうと必死の工作が進められていた。
だが、マルニの手張りする地下網と隣国の独立系ギルドとの結束は固く、指をくわえて指を指すことしかできずに苛立ちを募らせていた。
* * *
その日の営業が終わり、静まり返った『ル・シェル』の厨房。
使い込まれた調理台を丁寧に拭き上げていたリゼは、奥のカウンターで手帳を開いているレオンに呼び出された。
「……えっ? 『ル・シェル』の全権を……私に、ですか?」
レオンから告げられた言葉の意味がすぐには理解できず、リゼは手に持っていた布巾を握りしめたまま、驚きで目を丸くした。
「そうだ。新作スイーツの開発から現場の指揮、スタッフの采配まで、今後はすべてリゼ、お前に任せたい」
レオンは手帳を閉じると、冷めたお茶を口にし、静かに言葉を続けた。
「俺の本業はあくまで『ガストロノミー・レオン』の料理人だ。それに、この店を成功させたことで、俺にはこの先で仕掛けなければならない『次の構想』が見えてきた。いつまでも俺がこの店の厨房に留まり、現場を指揮しているわけにはいかない」
「でも……! 私なんかが、あの恐ろしい商業ギルドと渡り合いながら、こんな大きなブランドを背負うなんて……無理です! 私はただ、レオンシェフの横でお菓子を作っていただけで……」
不安と圧迫感で視線を落とし、肩を震わせるリゼ。
その華奢な肩を、後ろからポンと力強く叩く手があった。ゆっくりと階段を降りてきたマルニだ。
「何を情けない顔をしてるのよ、リゼ。あんたの後ろにはあたしがついているのよ?」
マルニは不敵で小気味いい笑みを浮かべた。
「金の算段も、ギルドの連中が仕掛けてくる汚い嫌がらせの潰し込みも、全部あたしが裏で裁いてあげるわ。あんたは面倒な政治なんて一切気にせず、堂々と世界一美味いお菓子を作り続けて、客を虜にしていればいいのよ」
「マルニさん……」
「それにさ」と、マルニは厨房の棚に腰をかけながら続けた。
「屋台一号から五号店までの統括で飛び回ってるバルトや、予約制の本店を守らなきゃいけないヴォルフやルカを、いつまでもここに縛り付けるわけにもいかないでしょ? だからね、あんたの下で働く専用の若い職人や給仕の手配は、もうあたしが進めてるわ。素直で手先が器用な見込みのある奴らを、スラムと街から集めておいたから」
完璧すぎるまでのバックアップと、自分を全面的に信じてくれている仲間たちの眼差し。
リゼはゆっくりと深呼吸をし、胸の奥で渦巻いていた迷いを吐き出すように、ギュッと両拳を握りしめた。
「……分かったわ。レオンシェフ、マルニさん……私、やってみます! 商業ギルドの古狸どもがぐうの音も出ないくらい、もっと凄くて新しいスイーツを、私の手で完成させてみせます!」
「いい顔になったな」
レオンの唇に、めったに見せない穏やかで静かな笑みが浮かぶ。
「ただの一発屋で終わらせるなよ。ギルドが独占してきた『甘味』の概念を根底から塗り替える、次なる新メニューの構想……お前の感性で形にしてみせろ」
「はいっ!」
一人の若き女性の背中に、ひとつの大人気ブランドと、新しい時代の未来がしっかりと託された瞬間だった。
商業ギルドの脅威を跳ね返し、更なる高みへと突き進む『ル・シェル』の第二章が、いまリゼを中心に力強く動き始めようとしていた。




