第6話 行列と銅貨の音
「おい、押すな! 俺が先に並んでたんだ!」
「うるせえ! 銅貨ならある、さっさと俺にもその肉を喰わせろ!」
薄暗かった路地裏は、一瞬で怒号と熱気に包み込まれていた。
きっかけはゴルドの大声だ。
スラムで誰もが恐れる荒くれ者が、脂まみれの顔で「美味ぇ、美味ぇ」と肉を貪り食う姿。そして路地一面に漂う、犯罪的なまでに香ばしい肉の焦げる匂い。
貧民も、噂を聞きつけた落ちぶれ冒険者も、吸い寄せられるように集まってきたのだ。
ジューッ! と、鉄板の上で肉が弾けるたびに、歓声に似たどよめきが起きる。
「はい、お待ち。火傷すんなよ」
レオンは木片に載せた熱々のステーキを次々と差し出していく。
手付きに迷いはない。
肉を切り分け、表面を焼き上げ、客へ渡す。
西麻布のピークタイム、怒涛のディナーラッシュを何度も仕切ってきた俺だ。一秒間に何回包丁を落とし、どのタイミングで鉄板の熱を調整すればいいか、身体が勝手に最適解を選んで動く。
「それにしても……この【微火】と【微風】、やっぱイカれてるな」
普通なら、急ごしらえの鉄板と薪の火じゃすぐに熱が逃げて肉に火が通らなくなる。
だが、あらかじめ下処理の段階で芯まで五十八度の低温調理を済ませてあるから、仕上げの焼き付けはほんの数十秒で済むのだ。
回転率が段違いだ。ファストフード並みの速度で、最高級フレンチ並みのクオリティを叩き出している。
「美味い……! なんだこれ、本当にオークの肉か!?」
「噛んだ瞬間に汁が溢れてきやがる……!」
「母ちゃん! これ、煮込みの百倍美味いよ!」
客たちの叫びが、路地裏に木霊する。
カン! カン! と、自家製調理台の木箱に、雑に投げ込まれる銅貨の音が心地よく響いた。
「おいおい、凄まじい大盛況だな、ちびっ子シェフ」
人混みの隙間から、ひょっこりと顔を出したのは、身仕立てのいい革鎧を着た薄笑いの男だった。
腰に長剣を差し、鋭い目つきをしている。冒険者ギルドの仲買人か、あるいは商人か。
「見ての通りだ。並ばねえなら肉はねえぞ」
「はは、つれないねぇ。だが困ったな……もう肉が切れかけてるんじゃないか?」
男の指摘通り、仕込んできたオーク肉の塊は、すでに最後のひと片になっていた。
「ラスト一皿だ。銅貨四枚……いや、五枚出す奴に売る」
「競りかよ! 意地汚いガキだぜ!」
周囲から罵声が飛ぶが、俺は知らんぷりで最後の肉を鉄板へ叩きつけた。
結局、最後の肉は身なりのいい男が銅貨五枚で買い叩き、一口食べて「……嘘だろ」と絶句したまま立ち尽くした。
「本日営業終了だ! 明日も同じ時間にやるから、金を貯めて並びな!」
レオンが叫ぶと、喰いっぱねた客たちから猛烈なブーイングが巻き起こった。
だが、その声の裏には、明日への明らかな期待と「食」への渇望が混ざっていた。
屋台を仕舞い、ボロ小屋に戻って木箱をひっくり返す。
ジャラジャラと床に転がったのは、山のような銅貨。
ざっと数えて銅貨八十枚以上。
スラムの大人でも、一ヶ月近く泥水に塗れてようやく稼げるような大金だ。
「……ふっ」
擦り切れたボロ布で手を拭いながら、不敵な笑みが漏れた。
資本ゼロ、ゴミ捨て場の廃品から始めた最初の一歩。だが、俺のガストロノミー(美食学)は、まだ始まったばかりだ。
「明日はもっと仕入れる。……それと、そろそろ『ハーブ』か『酒』を手に入れたいな」
レオンは小銭の山を見つめながら、次の一手へと思いを馳せた。




