第59話 抜き打ちの夜
中央商業ギルドによる食材の買い占めと納入停止の報せがもたらされてから数日。
スラムの事務所に呼び出されたのは、新ブランド『ル・シェル』の共同出資者であるマルニだった。
「……で? 商業ギルドの古狸どもが、あんたらの使う小麦粉や乳製品のルートを根こそぎ塞ぎにかかってると。そういうわけね」
マルニはソファに深く腰掛けると、組んだ足の先をトントンと揺らしながら、面白そうに片方の口角を吊り上げた。焦りの色は微塵もない。むしろ、敵が動いたことに対して闘志を燃やしているような笑みだ。
「ああ。表向きの卸しは全滅だ。だが、お前が動けば別の裏ルートが開けるはずだが?」
レオンが机に肘をつきながら問い返す。
「当たり前でしょ! ギルドが表の市場を抑えたところで、スラムの地下や裏通りの流通まで完全に目を光らせられるわけがないわ。少し値は張るけど、隣国の独立系ギルドから直接仕入れるルートなら、あたしの手綱でいくらでも引っ張ってこれるわよ」
マルニが自信満々に無い胸を張る。
スラムの土地と金を牛耳ってきた彼女にとって、商業ギルドの嫌がらせなど、ビジネスの駆け引きのスパイスに過ぎない。
「頼む。資材の確保は任せた。店舗の改装と並行して、絶対に途切れない流通網を構築してくれ」
「任しときなさい! その代わり、オープン初日はあたしを一番の特等席にもてなすことね」
マルニが小気味いい笑い声を残して事務所を去っていくと、厨房の空気は再びピリリと引き締まった。
* * *
まだ『ル・シェル』の実店舗が形になる前のこと。
夜の更けた王都の通りで、レオンはバルトと共に、自分たちの原点である屋台の営業エリアを歩いていた。
「おい、レオン。なんだか最近、妙に見張りの目が多くねえか?」
バルトが低く呟きながら、大柄な体を隠すように道の隅に視線をやる。
たしかに、ただの夜警にしては不自然に動き回る男たちの姿があった。商業ギルドが差し向けた衛生局の役人や、営業許可証の抜き打ち検査を装った嫌がらせの役人たちだ。
「……向こうも焦ってる証拠だな。店ができる前に、屋台の営業権や衛生面で難癖をつけて潰したいらしい」
レオンが冷ややかに鼻を鳴らしたその時、角から一人の男がひょっこりと現れた。商業ギルドの役人章をこれ見よがしにつけた査察官だった。
「おや、噂の『ガストロノミー』の小僧じゃないか。夜遅くにこんなところで何をしている。衛生管理に不備がないか、今すぐその屋台の裏側を見せてもらおうか」
嫌味な笑みを浮かべる役人に対し、レオンは一切動じず、むしろやれやれといった風情でエプロンのポケットに手を突っ込んだ。
「勝手に見るがいい。だが、もし一つでも言いがかりのイチャモンをつけたら、お前より偉い奴の耳に……想像できるか?」
レオンの静かな脅しに、役人の顔色が一瞬で青ざめる。
スラムの地主であるマルニの影と、王都の貴族たちがすでに取り巻き始めている現状を考えれば、迂闊に手出しをして返り討ちに遭うのは向こうの方だった。役人は冷や汗を拭いながら、すごすごと引き下がっていく。
* * *
役人を追い払った後、レオンは予約半年待ちとなっている現在の店舗『ガストロノミー・レオン』の奥へと足を向けていた。
まだ一般の客が誰もいない静まり返った客席で、レオンは本日仕込んだばかりのコース料理の試食を行っていた。
「……ソースの乳化がほんの少しだけ緩いな。これじゃあ、席に着くまでの数分の温度変化で香りが逃げる」
誰もいない厨房のカウンターで、レオンは一皿の肉料理を自らの舌で確かめ、静かにダメ出しを呟く。
完璧を求める妥協のない姿勢。予約制の高級店で極上の美食を提供しつつ、裏では新ブランド『ル・シェル』の仕込みとギルド対策を進める。
王都の夜はまだ深い。
だが、うねるような商戦のうねりは、確実に彼らの足元へと迫りつつあった。




