第47話 波紋
クラウス男爵が満足感とともに去っていった翌朝。
スラムの路地裏に佇む石造りの店舗の前に、バルトとルカが大きな木製の看板を抱えて立っていた。
「へっ、ついにうちの店にも立派な看板がつくわけだな」
バルトがニヤリと笑いながら、槌を使って木枠を店舗の壁際へとしっかりと打ち付けていく。
そこに刻まれていたのは、無骨ながらも美しく削り出された文字『ガストロノミー・レオン』。
「良い看板ですね、シェフ」
リゼが嬉しそうに目を細めると、レオンはエプロンの紐を結び直しながら小さく口元を緩めた。
「ああ。名前がついたからといって、やることは何も変わらない。今日も屋台の仕込みと、夜の予約の仕込みを進めるぞ」
「「「了解!」」」
厨房では、ヴォルフがすでに井戸水で冷やしたスイバとヨモギの葉を、一枚ずつ慎重に拭き上げていた。手際も見違えるほど良くなり、指先には職人らしいタコができ始めている。
「ヴォルフ、ハーブの水分は完璧か?」
「はい、レオンシェフ! エグみが出ないよう、葉脈を潰さずに一滴残らず水気を切ってあります!」
「よし。ルカ、オーク肉の解体に入ってくれ」
「任せとけ!」
ルカの持つ解体包丁が肉の構造に沿って滑り、滑らかな断面の赤身肉が次々と切り出されていく。そこへリゼが手際よく加わり、均一な厚みで寸分の狂いもなく肉片を揃えて打ち出していく。
かつて男社会の食堂で雑務ばかり押し付けられていた女性職人は、今やこの厨房で誰よりも正確で鋭い包丁仕事をこなしていた。
仲間たちの一糸乱れぬ連動。かつて屋台一つから始まったこの小さなチームは、今や最高の厨房として機能していた。
* * *
クラウス男爵が帰還してから数日。
『ガストロノミー・レオン』の名は、風のように王都の社交界へと駆け巡っていた。
「噂は本当だった……! クラウス男爵の長年の胃弱が、完全に治まったそうだ!」
「あの『金の豚亭』を失脚させた神童シェフが、スラムで完全予約制の店を開いているらしい!」
連日のように、予約を求める使者や豪華な馬車がスラムの路地裏へと押し寄せた。
だが、レオンの姿勢は徹底していた。
「一日に受ける予約は一組までだ。それ以上受ければ、仕込みの精度が落ちる」
どれほどの金や権力を提示されても、絶対に一線を崩さない。そのストイックな職人魂が、逆に貴族たちの間での価値をいやが上にも高めていっていた。
* * *
そんなある日の午後。屋台の昼営業を終え、夕方の仕込みに入ろうとしていたレオンのもとへ、見慣れぬ上質な羊皮紙を持った男がやってきた。
男が身に纏っていたのは、ジュリアン伯爵邸のものとは異なる、王都中央商業ギルドの紋章が入った外套だ。
「レオンシェフとお見受けする。……王都中央ギルドおよび、王室料理人組合からの使いで参りました」
使者の言葉に、仕込みの手を止めたバルトとルカが警戒するように身体を固くした。
「……何の用だ? うちは商業ギルドの買い占め妨害を突っぱねたばかりだぞ」
バルトが身を乗り出すのを、レオンは手で制した。
「聞こう」
使者の男は恭しく頭を下げると、書簡を恭しく差し出した。
「『金の豚亭』の失脚に伴い、王都における高級料理の市場と流通は大きな混乱を極めております。つきましては……王都料理界の再編と、来月催される『全土食典』への参加を、貴殿に正式に要請したく」
「食典……ですか?」
リゼが小さく息を呑み、驚きの声を上げる。
使者の男はまっすぐにレオンを見つめた。
「ええ。王国中の名だたるシェフや海外の要人が集う大催しです。……『金の豚亭』が消えた今、王都の食の頂点を示すべきは、貴殿をおいて他にはおりません」




