第42話 夜会
王都ジュリアン伯爵邸の大ホール。
天上の巨大な魔導シャンデリアが眩い光を放ち、白磁の床には絢爛豪華なドレスや礼服に身を包んだ王都の有力貴族たちが溢れていた。
「……それにしても、伯爵邸の料理は本当に大丈夫なのか?」
「噂では『金の豚亭』と折り合いが悪くなり、市場からの食材供給を完全に絶たれたと聞いたぞ」
「まさか、水とパンしか出てこないのではないだろうな」
貴族たちが扇子越しに不穏な囁きを交わす中、壁際で余裕の笑みを浮かべてワイングラスを傾ける男がいた。
『金の豚亭』本店総支配人、ルシアンだ。
「フン……遠征から戻ったばかりの青二才とスラムのガキが、王都の流通を仕切る私に勝てるはずがなかろう。今頃厨房で青ざめて頭を抱えているのが目に浮かぶわ」
ルシアンは冷酷な笑みを深め、伯爵邸の窮地を特等席で見届けようと目を細めた。
その時、重厚な扉が静かに開き、給仕たちが一斉に大ホールへと姿を現した。
運ばれてきたのは、銀の蓋が被せられた深皿。
「皆様、ジュリアン伯爵邸主催、大夜会の始まりでございます。……まずは第一皿目をどうぞ」
ジュリアンが堂々と宣言し、給仕たちが一斉に銀の蓋を掲げた。
瞬間。
ドッと押し寄せるような、濃厚で香ばしい甲殻類の芳香と、胸を突く清々しいハーブのアロマが、大ホール全体の空気を一瞬で塗りつぶした。
「な……なんだ、この香りは……っ!?」
会場のあちこちから、どよめきが上がる。
器の中に注がれていたのは、夕陽のように鮮やかなオレンジ色に輝く濃厚なスープ――『川エビの濃厚ビスク・野生クレソンのオイル添え』だった。
ルシアンの顔から笑みが消え、目が見開かれる。
「馬鹿な……!? 王都中の市場から海老も甲殻類も全て買い占めたはずだ! どこからこれほどの極上品を手に入れた……!?」
疑心暗鬼に陥るルシアンを余所に、一人の老貴族が我慢できずにスプーンを口へと運んだ。
スプーンが口に触れた瞬間――その老貴族の体が震えた。
「――っくあぁ……っ!! 美味い……っ! なんだこれは……っ!?」
口いっぱいに広がるのは、ローストされた甲殻類の香ばしさと、凝縮された濃厚な海の……いや、川の旨味だ。過剰な甘みや重たい油分など一切ない。後味には野生クレソンのキレのある辛みがふっと走り、重厚なスープのコクを完璧に引き締め、引き去っていく。
「素晴らしい……っ! 一口飲むごとに、喉の奥から腹の底へじんわりと温かい熱が広がっていく……!」
「甘ったるい『金の豚亭』のソースとはまるで違うわ! いくらでも飲めてしまう……っ!」
会場中が一口食べるごとに歓声に包まれ、貴族たちが争うようにスープを飲み干していく。
不快なもたつきを与える蜂蜜は一切使われていない。ただひたすらに、下処理を極めた素材の抽出液が、貴族たちの疲れた胃袋を直撃していた。
「あ、あり得ん……っ! こんな高純度のビスク、王都のどの市場の食材でも作れんはずだ……っ!」
ルシアンがワイングラスを握りつぶさんばかりに震えていると、ホール奥の厨房へと続く扉から、一人の少年が静かに姿を現した。
エプロンをつけ、包丁ケースを腰に下げた10歳の少年、レオンだ。
レオンは騒然とする会場を見渡し、冷ややかな視線をまっすぐにルシアンへと向けた。
「……川エビの殻をローストし、骨ごと潰して出汁を引いたんだ」
レオンの声が、静かにホールに響き渡る。
「金の力で買い占めた気になっていたようだが……お前たちが捨てている雑草や雑魚の中にこそ、本物の味が眠っているんだよ」




