第37話 竜の肝
ジュリアンが差し出してきた木碗に、レオンは静かに温かい『薬膳コンソメスープ』を注ぎ入れた。
「……冷める前に飲め。胃が温まれば、その不快な胸焼けも消える」
「……感謝する」
ジュリアンは意を決したように、スープを一口口に含んだ。
その瞬間、彼の目が見開かれる。
泥臭さなどどこにもない。口いっぱいに広がるのは、塩豚の力強い旨味と、すうっと胸を突く清涼感あふれるハーブの芳香。喉を通ると同時に、冷え切っていた腹の底からジュワリと心地よい熱が広がり、固まっていた胃が急速にほぐれていくのが分かった。
「な……んだ、これは……っ。僕が今まで飲んできたどんな高価なスープよりも、格段に体に染み渡る……っ!」
「高級な乾燥肉は、保存のために多量の油脂と塩分が使われている。過酷な環境で冷えた身体には、それがただの重荷にしかならないんだ」
レオンは下処理を続けながら言いのけた。
「料理は贅沢を誇るための道具じゃない。食べる者の状態に寄り添い、体を整えるためのものだ」
ジュリアンは木碗を抱え、言葉を失ったまま深く頭を垂れた。
貴族という矜持も、高価な道具への傲慢さも、目の前の10歳の少年の圧倒的な職人哲学の前に、綺麗さっぱり打ち砕かれていた。
* * *
翌朝。前線基地の調理場には、早朝から香ばしい煙と、食欲を激しく刺激する濃厚なアロマが漂っていた。
昨日仕込んだ『紫毒竜の肝の塩蔵スイバ漬け』と『竜の赤身肉』が、いよいよ火にかけられているのだ。
「おいおい……シェフ。本当にその肝、食えるようになったのか……?」
ガルムが期待と不気味さが入り混じった顔で覗き込む。
「スイバの酸と塩で一晩脱水し、完全に毒素を血抜きした。……見ていろ」
レオンは平鍋に薄く固形乳脂を溶かし、表面をカリッと焼き上げた竜の肝と、強火でサッと表面を炙った赤身肉のソテーを合わせ皿に盛り付けた。
仕上げにかけるのは、竜の肉汁と少量の野草液を詰めた濃厚なソースだ。
「『紫毒竜の肝のフォアグラ風ソテーと、赤身肉のステーキ』だ」
前線基地に集まった冒険者たちとジュリアンへ、一斉に皿が運ばれる。
ジュリアンは真っ先にフォークを伸ばし、焼き上がった肝を一口口へと運んだ。
「――っ……!? な、なんだこの滑らかさは……っ!!」
噛む必要すらない。
口に含んだ瞬間、とろけるような濃厚なコクが舌の上で弾け、一瞬遅れてスイバの微かな酸味が後味を爽やかにさらっていく。臭みなど微塵もなく、まるで極上の熟成乳脂を食べているかのような官能的な美味さだ。
「う、美味すぎる……っ! 赤身肉も噛めば噛むほど肉汁が溢れ出てくるぞ……っ!」
「毒の塊だと思ってた肝が、こんな至高の珍味に化けるなんて……っ!」
前線基地は、まるで高級料亭のような歓声とどよめきに包まれた。
ジュリアンは夢中で皿を綺麗に平らげると、静かにレオンに向かって歩み寄った。
「シェフ……不躾なお願いだが、僕の家……王都のジュリアン伯爵家に、君を招待させてほしい」
「王都の貴族家?」
「ああ。近々、王都で大規模な貴族たちの夜会が開かれる。父や他の貴族たちに、本当の『料理』というものを教えてやってほしいんだ。……もちろん、報酬も提示額の倍を保証する」
レオンは包丁を布で拭きながら、不敵に口元を緩めた。
「……そろそろ王都の貴族どもに本物の味ってやつを教えてやるのも悪くない」




