↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
31/124

第31話 金の豚の足音


 『銀狼の牙』によるプレオープンから数日。


 スラムの裏路地にひっそりと佇む薬種店跡地は、いつになく熱気に包まれていた。


「よし、バルト。スラムの連中から買い取る『野生のハーブ』と『木の実』の買い取り価格だが、これまでの1.5倍に引き上げる」

「いいのかシェフ!? ただでさえうちの買い取りは評判が良いんだぞ?」

「ああ。質の高い下処理を済ませて持ってきてくれるガキには、さらに大銅貨1枚のボーナスを出す。素材の質が料理の命だ。仕入れの精度を上げるための投資だよ」


 レオンは手元の羊皮紙に炭ペンで数字を書き込んでいく。


 ガルムたちから得た金貨2枚という対価は、この小さな店にとって絶大な原資となった。


 下処理を手伝うルカや、接客を担当するリゼにも十分な手当てを支払うことができる。ただ腹を満たすためだけの貧民街の路地裏で、レオンの店を中心に小さな「温かい経済」が回り始めていた。


 だが、本物の料理と大金が動けば、必ず『嫌な匂い』がついて回るのが世の常だった。



     * * *



 コンコン、と不躾で乾いたノック音がドアを叩いた。


 バルトが眉をひそめて扉を開けると、そこにはスラムの空気に不釣り合いな、豪奢なシルクの衣装に身を包んだ小太りの男が立っていた。


 男の後ろには、大通りの高級店『金の豚亭』の紋章が刺繍されたエプロンをつけた、いかにも傲慢そうな料理人風の男が控えている。


「ふむ……なんだこのドブ臭い穴ぐらは。こんなゴミ溜めのような場所で、ガルムの奴らが『王宮より美味い料理』などと吹聴しているのか?」


 シルクの男、大通りで商会を営み、高級店『金の豚亭』の太客でもある富豪の男は、シルクのハンカチで鼻を覆いながら、嫌そうに店内へ足を踏み入れた。


「おい、バルト。そっちの肥えた豚と、スカした料理人気取りは何だ?」


 レオンは仕込み台で小刀を動かす手を止めず、冷ややかな視線を向けた。


「ガキ、口を慎め! こちらは『金の豚亭』の筆頭料理長、ポルクス様だぞ!」


 料理人風の男、ポルクスが、不快そうに鼻を鳴らした。


「ガルムの奴らがギルドで『スラムの1日1組限定の店で至高の肉を食べた』などと戯言を撒き散らしていたから確かめに来てみれば……フン、10歳のガキのままごとじゃないか。いいか、料理というのはな、ドラゴン肉のような高価な希少食材と、大量の極上蜂蜜、そして王宮御用達の香辛料をふんだんに使って初めて成り立つものなのだよ」


「……で? その高価な食材をバカみたいに重ね合わせたパサパサの肉と、蜂蜜煮込みのくどいソースが『金の豚亭』の自慢か?」


 レオンの静かな毒舌に、ポルクスの顔が真っ赤に染まる。


「なっ……! この礼儀を知らんクソガキが……っ!」

「まあ待ちなさい、ポルクス」


 富豪の男が下種な笑みを浮かべながら、ジャラリと重量感のある革袋をテーブルに放り投げた。


「ガルムたちにどんなイカサマを使ったかは知らんが、今夜の席をボクが買い取ってあげよう。金貨1枚だスラムのガキには一生かかっても拝めない大金だろう? 『金の豚亭』のポルクス料理長に、君のイカサマ料理の正体を暴いてもらうとしようじゃないか」


 ポルクスも胸を張り、見下すような視線をレオンに浴びせた。


「クックック……そうだ。せいぜい下等なナマズや解体クズ肉で、私を満足させてみせろ。もし一口でも吐き出すような味だったら、この店を即刻潰してスラムから叩き出してやる」


 バルトが怒りに拳を握り締め、リゼが不安そうにレオンの背中に隠れる。


 だが、レオンの表情には焦りどころか、微かな退屈さすら漂っていた。


 レオンは仕込み台の鍋のフタを、すっと持ち上げた。


 その瞬間、純度を極限まで高めた【澄ましバター】と、じっくり時間をかけて抽出された『黄金のコンソメ』のアロマが、厨房から一気に店内へと溢れ出した。


「――っ!?」


 ポルクスの鼻腔が、激しく跳ね上がった。


 不快な脂臭さは一切ない。香ばしく香気立つ乳脂肪の芳醇なコクと、雑味を完璧に削ぎ落とした純粋な肉の旨味の香りが、一瞬にして店内の空気を支配したのだ。


(な……なんだこの匂いは……っ!? 焦がしバターの雑味が一切ない……!? それに、この出汁の香りは何だ……香辛料も使っていないのに、なぜこれほど濃厚で澄み切っている……っ!?)


 長年、高級店で調理場に立ってきたポルクスだからこそ、その「香りの異常なまでの完成度」が一瞬で理解できてしまった。


 冷汗が、ポルクスの額から一粒、ポタリと床に落ちる。


「……金貨1枚?」


 レオンは炭ペンを置き、冷ややかな眼光で二人を見据えた。


「うちの店は『1日1組限定・完全予約制』だ。予約はすでにガルムたちの紹介で埋まっている。それに……本物の味も判らない奴に食わせる料理は、うちには一皿も無い」

「な……なんだと……っ!?」

「金貨1枚ぽっち、全然足りないねぇ。貧乏人は金を持って出直しな。……まあ、舌の腐った豚に食わせる飯は持ち合わせていないんでね」


 スラムの小さな薬種店跡地に、レオンの冷徹な宣戦布告が響き渡った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。