第18話 熱狂の波紋
スラムの街角に立つレオンの屋台には、ここ連日、明らかに異質な客たちが混ざり始めていた。
使い古された革鎧の擦り傷も眩しい駆け出しの冒険者や、大通りからわざわざ裏路地へ足を踏み入れてきた、身なりの整った商人たちだ。
「おい、ここか……? スラムで噂になってる『王都の高級店より美味い肉を出す』って屋台は」
「噂は本当だったんだな……! こんなドブ臭い裏路地で、十歳のガキがとんでもない肉を焼いてるってのは」
スラムの住人たちが作る不揃いな列の後ろに、彼らが恐る恐る、どこか浮かない顔で並んでいく。
『幻のベア肉ロースト』から始まった口コミの波紋は、食い詰めた荒くれ者たちの口づてを伝い、いつの間にかスラムの境界線を越えて大通りへと広がっていたのだった。
「へいへい、順番だ順番! スラムの人間だろうが外の商人様だろうが、うちの屋台じゃ一列に並ぶのがルールだ! 割り込もうとした奴は、俺の拳骨を喰らうことになるぞ!」
列の脇で腕組みをしたゴルドが、野太い声で一喝する。
普段ならスラムの人間を見下すような身なりの良い商人や高慢な冒険者も、ゴルドの巨体から放たれる圧迫感と、屋台から漂う尋常ではないハーブと焦がしバターの香気に気圧され、おとなしく銅貨を握りしめて列に加わった。
「ホルモン串二本と、オークの香草焼きを一つ頼む」
「毎度」
レオンは迷いのない手つきで、トングと包丁を滑らせる。
【微火】で肉の深部まで熱を通しつつ肉汁を閉じ込め、【微風】で弾けるハーブと焦がしバターの香気を一気に押し広げる。
焼き上がった熱々の肉を渡された駆け出し冒険者は、その場で我慢できずに木皿の肉塊へ豪快にかぶりついた。
「――ぶっ!? な、なんだこれ……っ!? 柔らかい……! 脂が、脂が驚くほど甘え……っ!?」
「へッ、言っただろ! このガキの肉は一回喰ったらもう他の肉に戻れねえんだよ!」
後ろに並んでいたスラムの常連客が、まるで自分の手柄のように鼻が高いと言わんばかりの笑い声を上げる。
スラムの荒くれ者と、外からやってきた小綺麗な客たち。本来なら交わることのない二つの層が、たった一枚の肉の圧倒的な美味さを前にして、同じように目を丸くし、舌鼓を打っている。
その光景を、レオンは鉄板の奥から静かに見つめていた。
(……客層が完全に広がり始めてきたな)
手押し車の上には、今日用意していた食材が仕込みも含めてすべて綺麗に消え失せようとしていた。
バルトに頼んで仕入れの量を増やすよう調整していたにもかかわらず、連日、昼過ぎには完売してしまう状態が続いている。
「ふぅ……本日分は終了だ。並んでくれたところ申し訳ないが、また明日頼む」
レオンが売り切れを告げる小さな木札を掲げると、並んでいた客たちから地鳴りのような大きな溜め息と落胆の声が漏れた。
「ちくしょう、今日も喰えねえのかよ!」
「明日はもっと早く並ぶぞ……!」
去っていく客たちの背中を見送りながら、手際よく炭の残りを沈火させていると、木箱に腰掛けたバルトが帳面を叩きながら歩み寄ってきた。
「おいおい……大通りの商人どもまでわざわざ足を運んでくるとはな。ちびっ子シェフ、そろそろこの手押し車一台じゃ焼き手が追いつかなくなってきたんじゃねえか?」
「ああ。鉄板の物理的な面積も、一度に保温しておける肉の量も、これが限界だ」
レオンは汗を拭い、静かに自分の小さく幼い両手を見つめた。
「客を長く待たせすぎれば、焼き加減の微調整に狂いが出る。料理の質も満足度も落とすわけにはいかない。……そろそろ、次の段階へ進む時期かもしれんな」
「……次、か」
ゴルドとバルトの目が、一瞬で鋭い経営者の光を宿した。
無謀に店を広げるのではない。屋台としての足場と需要、そしてブランド価値を極限まで高めた上で、満を持して踏み出す次の一歩。
十歳のシェフが頭の中で描く未来の設計図が、一歩ずつ、確実に現実の形をとろうとしていた。




