第17話 幻の裏メニュー
カラリと晴れ渡った昼下がり。
スラムの街角に置かれたレオンの屋台の前には、いつものように香草焼きとホルモン串を求める客たちの長い列ができていた。
「おいシェフ! 今日もホルモン二本くれ! あの歯応えとハーブの香りが忘れられねえんだ!」
「俺はオークの香草焼きだ! これ喰わねえと午後の仕事に力が入らねえんだよ!」
飛び交う威勢のいい声と、手押し車の鉄板の上で弾ける脂の澄んだ音。
ゴルドが列の脇でドカリと仁王立ちし、腕組みをしながら鋭い眼光で周囲を警戒する日常風景の中、レオンは手際よくトングと包丁を動かしていた。
(よし……タイミングとしては今だな)
仕込んでおいたいつものメニューが一巡し、人だかりの熱気が最高潮に達したところで、レオンは炭火の脇に置いていた小さな木札を引き寄せた。あらかじめ黒い塗料で小さく書き込んでおいた文字を、屋台の正面へ立てかける。
『本日限定・裏メニュー:熟成ベア肉の厚切りロースト〜香草焦がしバターソース〜(銀貨一枚・限定5食)』
木札を置いた瞬間、列の最前列にいたガタイのいい作業員の男が、目を丸くして木札とレオンの顔を交互に見比べた。
「ぎ、銀貨一枚……!? おいおいガキ、冗談だろ!? 銅貨数枚でうまい肉が喰えるのがこの屋台の良いところだろ!? いくらなんでもスラムの屋台で出す値段じゃねえぞ……!」
「嫌なら買わなくていい」
レオンは騒ぐ男の声を淡々といなしながら、木箱の蓋を開けた。
「ワイルド・ベアの腿肉を、三日間かけてじっくり乾燥熟成させた一皿だ。硬い筋は完璧に解け、旨味だけが凝縮されている。……なにしろ、今日は5食分しかないからな」
レオンは分厚く切り分けた深紅の熟成ベア肉を、熱した鉄板へ静かに滑り込ませた。
ジュワアアァァッ……!!
激しい音とともに立ち上った煙は、いつものオーク肉とは明らかに違っていた。
熟成された濃厚なチーズやナッツを思わせる甘く芳醇な香気と、溶けた焦がしバターの香ばしい風味が混ざり合い、路地裏の湿った空気を一瞬で一変させる。
「な……なんだこの匂いは……!?」
「いつもの香草焼きともホルモンとも違うぞ……!?」
「おいおい、王都の高級料理店から漂ってくるような凄まじい香りがするんだが……!」
匂いだけで胃袋を強力に掴まれた先頭の男は、生唾をゴクリと飲み込んだ。
男の額に汗が滲み出る。周りの客たちの視線が自分に集中する中、男はポケットの中に落ちていたなけなしの銀貨を一枚、震える手で木箱の上へ叩きつけた。
「ちくしょう、喰う! 銀貨一枚だ、その肉をくれ!!」
「毎度」
レオンは表面をサッと香ばしく焼き固め、フレッシュハーブを打ち込んだ焦がしバターソースをたっぷりと回しかけた熱々の肉塊を、木皿に載せて差し出した。
男は吸い寄せられるように肉を掴み、あふれ出る肉汁も構わずに豪快にかぶりつく。
次の瞬間、男の動きが完全に止まった。
「お、おい……どうしたんだよ?」
「やっぱり硬くて噛み切れねえのか……!?」
周りの荒くれ者たちが不安そうに顔を見合わせる中、男の目からポロリと大粒の涙が零れ落ちた。
「や……柔らかえ……っ! あの噛み切れねえベア肉の筋が、嘘みたいに歯でサクッと切れやがる……! それに……なんだこの肉汁は……っ!? 噛むたびに、濃厚な旨味と甘みがお口の中で爆発しやがる……美味ぇぇぇっ!!」
「な、なんだって……!?」
「おい! 俺にもくれ! 銀貨一枚だ!!」
「俺が先だ! 2食分売ってくれ!!」
男の絶叫に近いリアクションを見た瞬間、路地裏が一瞬で怒号と熱狂の渦に巻き込まれた。
懐に余裕のある者たちが争うように銀貨を差し出し、仕込んでおいた5食分の熟成ベア肉は、ものの数分で跡形もなく完売した。
買えなかった客たちが「明日もあるのか!?」「頼むから仕込んでくれ!」と悔しそうに身を乗り出す。
喧騒が落ち着き、営業が一段落した頃、後ろで呆然と見ていたバルトが近寄ってきた。
「おいおい……スラムで銀貨一枚のメニューが瞬殺かよ。もっと大量に仕込んで売り出せば、今頃銀貨の山だったんじゃねえのか、ちびっ子シェフ?」
「いや、これでいい」
レオンは手拭いで汗を拭い、静かに首を振った。
「熟成肉は仕込みに時間がかかるし、ロス(廃棄リスク)も大きい。だが何より……『いつでも喰えるもの』にしてしまえば価値が下がるんだ」
「価値が下がる……?」
「ああ。『運が良ければ喰える幻の逸品』にしておくことで、客は裏メニュー目当てに毎日うちの屋台へ足を運ぶようになる。買えなくても、通常の香草焼きやホルモン串を買って帰るからな」
単に目の前の利益を追うのではない。希少性をコントロールし、屋台全体の集客力とブランド価値を底上げする。西麻布で人気店を維持し続けていた頃のマーケティング戦略だ。
「……相変わらず、ガキの皮をかぶった商人悪魔だな、お前は」
バルトは降参したように肩をすくめ、感心しきった様子でニヤリと笑った。
10歳のシェフが仕掛けたプレミアムな『裏メニュー』は、スラムの街角に新たなる伝説を強烈に刻み込んでいた。




