第15話 熟成
『オークホルモンのアロマ串焼き』がメニューに加わってからというもの、レオンの屋台はスラムの街角で不動の立ち位置を確立していた。
ジューシーなステーキと、ハーブが香る歯切れのいいホルモン串。
二つの看板メニューを目当てに、昼下がりになれば荒くれ者から貧民街の住人までが整然と列を作る。ゴルドが腕組みをして目を光らせているおかげで、割り込みや食い逃げをする者も一人としていない。
「はい、ホルモン二本とステーキ一つ。熱いうちにどうぞ」
「おう、サンキューなシェフ! これ喰わねえと一日が終わらねえよ!」
銅貨を受け取り、手際よく肉を渡していく。
売上は順調そのものだったが、レオンの手綱が緩むことはなかった。
(客がつき始めた今こそ、品質の維持と足場固めが一番重要だ)
西麻布の頃もそうだった。爆発的なブームに浮かれて手広く展開し、仕込みや接客の質を落として潰れていった店を何軒も見てきた。まずはこの小さな手押し車一台で、揺るぎない信頼を築くのが先決だ。
昼のピークが過ぎ、炭の残り火を削っていたところへ、バルトが大きな革袋を抱えてやってきた。
「おい、ちびっ子シェフ。頼まれてた『安くて使い道のない肉』の仕入れだが……今回はちょっと訳ありだぞ」
バルトが木箱の上に広げたのは、ゴツゴツとした濃い赤紫色の巨大な肉塊だった。
脂肪分が極端に少なく、太い筋が幾重にも走っている。
「『ワイルド・ベア』の腿肉だ。腕利きの冒険者が持ち込んだんだが……硬すぎて包丁も通らねえし、煮込んでもゴムみたいだってんで誰も買わねえ。捨て値で転がってたのを買ってきた」
横から覗き込んだゴルドが、肉を指で突いて眉をひそめる。
「うわっ、カチコチじゃねえか。こんなの噛んだら歯が折れるぞ。いくらシェフでも、これ焼き肉にするのは無理だろ?」
だが、レオンはその肉塊をじっと見つめ、指先で押し返すような弾力を確かめると、満足げに目を細めた。
(……悪くない。余計な脂がない分、赤身本来の濃厚な旨味が詰まっている)
硬い肉を柔らかくする方法は、叩いたり煮込んだりするだけではない。肉自身が持つ酵素の働きを使い、タンパク質をゆっくり分解させて旨味へ変える――『ドライエイジング(乾燥熟成)』だ。
「いい肉だよ、バルトさん。これを屋台の『特別な裏メニュー』に仕立ててみせる」
「おいおい……マジかよ。こんなカチコチの肉をどうにかできんのか?」
「ああ。【微風】で表面を急速に乾燥させて皮膜を作り、菌の繁殖を防ぎながら【微火】で微小な温度管理を続ける。数日寝かせれば、刃がすんなり通る極上の柔らかさになる」
レオンは包丁の背で肉を軽く叩き、静かな職人の笑みを浮かべた。
「急ぐ必要はない。じっくり時間をかけて、美味いものを作るだけだ」
屋台の足場をしっかりと固めながら、10歳のシェフの手の中で、新たな美味が静かに熟成の時を待っていた。




