第37話 小さな赤蓮
寒流と暖流がせめぎ合う海域を越え、アルティザン号が進路をとったのは、そびえ立つ断崖絶壁をくり抜いて作られた巨大な天然の港だった。
ダンジョン都市『ヴェルガ』。世界最大級の縦穴大穴ダンジョンを抱え、一獲千金を狙う冒険者や鉱石商人、怪しげな露店がひしめく熱気と熱気に満ちた街だ。
レオンたちは、大穴からほど近い港の静かな埠頭にアルティザン号を係留した。
「ここを拠点にすれば、過酷なダンジョン探索から戻っても、船内で安全に温かい飯とベッドが確保できるわね」
エレナが魔導測量ゴーグルを額に押し上げながら、港から見上げる巨大な街の全貌を感心したように観察している。その腰には、船の測量機器を応用して自作した、多角レンズと複雑な歯車が組み込まれた魔導投射器が静かに収まっていた。
「前衛の力仕事は私が回すとして……問題は、大穴の深層へ潜るための広域火力だな」
シェラが甲板のシーフックの手入れをしながら呟く。バルトが抜けた穴は、力押しだけでは埋まらない。群れをなす魔物を一瞬で薙ぎ払う重火力が、今のパーティーには不可欠だった。
その日の午後、レオンたちは装備の補充と情報収集を兼ねて、冒険者ギルドの喧騒へと足を踏み入れた。
酒場を兼ねた大広間は、血と汗と安酒の匂いが充満していた。その喧騒の中心で、周囲の冒険者たちが遠巻きにヒソヒソと囁き合っている一角がある。
「おい、見ろよ。またあのガキだ……」
「一人で三層の硬皮豚を丸ごと焼き尽くしてきたらしいぞ。魔力だけは化け物だ」
荒くれ者たちがたじろぐ視線の先にいたのは、十歳ほどに見える小柄な少女だった。
自分の背丈よりも遥かに大きな、古木の捻じれた大杖を床に立てかけ、無表情のまま木の皿に盛られたパサパサの干し肉を淡々と口へ運んでいる。深い赤い髪が短く揺れ、周りの殺気立った視線など意にも介していない様子だった。
「……あの子」
エレナがゴーグル越しに少女の魔力量を測定し、小さく息を呑んだ。
「間違いないわ。体内に溜め込んでいる魔力の密度が異常よ。あの幼さで……」
レオンは黙って少女の元へ歩み寄った。少女リオは、近づいてくるレオンを鬱陶しそうに一瞥しただけで、再び味のなさそうな干し肉を噛みちぎろうとする。
「そんな硬くて血抜きの甘い干し肉じゃ、顎が疲れるだけだ」
レオンはそう言うと、手持の革袋から、アルティザン号の厨房で仕込んできた『乾しタラとハーブオイルの温製アヒージョ』を添えた、カリカリのハードパンを皿ごと差し出した。
「食ってみろ」
リオは警戒するようにレオンを見上げ、次いで差し出された皿に視線を落とした。香ばしいニンニクと香草のアロマ、そしてオリーブオイルの中でホロリとほどける白身の旨味が、酒場の嫌な匂いを一瞬で塗り替える。
小さな手が、吸い寄せられるようにパンを掴み、口へと運ばれた。
一口噛みしめた瞬間。
無表情だったリオの大きな瞳が、驚愕で丸く見開かれた。ぴんと尖った小さな耳が分かりやすく跳ね上がり、パッと頬が朱に染まる。
「……なに、これ。温かくて……味が、奥まで入ってる」
「塩気と油で肉のタンパク質を保護し、香草で臭みを消している。職人の下処理だ」
レオンが短く答えると、リオは残りのパンと煮込みを夢中で口の中に放り込み、あっという間に皿を舐めるように平らげてしまった。
息を整えたリオは、己の背丈ほどもある大杖をドンと床に突くと、レオンをまっすぐに見つめた。
「お前、名前は」
「レオン。アルティザン号の船長であり、料理人だ」
「レオン。私を雇え。ダンジョンの最深部でもどこでも、私の火炎で道を焼き払ってやる。……その代わり、毎食私にその飯を食わせろ」
一切の迷いがない、圧倒的な交易の要求。
レオンは口元にうっすらと笑みを浮かべ、小さな魔法使いに向かって大きく手を差し出した。
「交渉成立だ、リオ。ただし、肉を黒焦げに焼いたら、容赦なく説教するからな」




