第33話 熱を継ぐ者
月明かりが港の氷面を白く照らす夜。アルティザン号の甲板に積もった薄雪を踏みしめながら、バルトがレオンの背中に歩み寄ってきた。
冷えた海風が二人の間を吹き抜ける。いつもなら真っ先にくだらない冗談を飛ばすバルトが、今夜は唇を固く結んだまま、静かに海を見つめていた。
「……レオン。俺、船を降りる」
レオンは研ぎ石の上に置いた包丁を動かす手を止めず、規則正しい音を響かせながら静かに耳を傾けた。
「……ミルカと一緒に、あの街で生きていきたい。ギドの親父さんの店を手伝いながら、ノースヴェイルの連中に温かい飯を出し続けたいんだ。……勝手なこと言って、すまねえ」
深々と頭を下げるバルトの頭上に、レオンの静かな声が降ってくる。
「お前が自分で決めた道だ。謝る必要はない」
レオンは包丁を布巾で拭い、鞘に収めるとゆっくりと振り返った。
「ただし、俺の船に乗っていた男が、生半可な料理を出して街の客をがっかりさせることは許さん。明日から仕込みに入るぞ」
「仕込み……?」
「お前一人で仕込めて、どんな大寒波が来ても客の手を温め、胃袋を満たせる『お前のための看板料理』だ」
翌朝から、ギドの店の厨房でレオンとバルトのマンツーマンの特訓が始まった。
レオンが提示したのは、極寒の地に特化した『極厚豚すね肉の濃厚発酵煮込みと、熱々石焼きポケットパン』だった。
ウツボの白湯で培ったコラーゲン抽出の技術を応用し、安価な豚すね肉と根菜を、地元の発酵麦味噌と香辛料でクタクタになるまで煮込む。コラーゲンとゼラチン質がとろみを生み、表面に油膜を張ることで、氷点下の屋外でも一切熱を逃がさない。
それを、焼き立ての分厚いポケット状のパンにたっぷりと流し込み、熱した石の上で表面をカリッと焼き固めて差し出す。
「皮はパリッと香ばしく、噛みちぎれば中からマグマみたいな熱々の肉汁とシチューが溢れ出す。持ち運びやすく、手袋越しでも手が温まる」
「す、すげえ……! こんなの、一口食ったら寒さなんて吹き飛んじまうぞ!」
「感心している暇はないぞ。火加減、肉の下処理、とろみのつけ方……すべてお前の腕一つにかかっている」
レオンの手元を、バルトは血眼になって見つめ、メモを取り、何度も火傷をしながら大鍋と向き合った。その真剣な横顔を、ミルカとギドが温かな眼差しで見守っていた。
* * *
数日間の猛特訓の末、バルトが自力で仕上げた煮込みパンを一口食べたレオンは、静かに目を閉じた。
「……合格だ。これなら、あの街の胃袋を一人で支えられる」
レオンの言葉に、バルトの目からボロリと大きな涙がこぼれ落ちた。
技術を教え込まれたからではない。レオンが自分を「一人の料理人」として認め、この街に温かな熱を残していける力を授けてくれたことへの、溢れるほどの感謝だった。




