第31話 深海の宝
翌朝、極寒の北風が叩きつける市場の片隅で、ギドは苦々しい顔をして腕を組んでいた。
「……案の定だな。食糧商工ギルドの奴ら、うちの屋台が大繁盛したって聞きつけるや否や、市場の肉と小麦粉の卸値を跳ね上げやがった。平然と通常の3倍の値を要求してきおる」
ギドの報告に、一緒に買い出しへ出ていたバルトが太い拳を握りしめ、歯噛みした。
「ふざけやがって! そんな高値じゃ、街の労働者たちに安くて温かい飯が出せなくなるじゃねえか!」
だが、レオンの表情は至って冷静だった。彼は商工ギルドが仕切る賑やかな中央市場には目もくれず、港の最も奥まった、臭気と氷塊が転がる競り場へと足を向ける。そこには、網にかかったものの「商品価値がない」として捨て値で投げ出されている、巨大な深海魚の山があった。
「……レオン、まさかその『鬼棘ウツボ』を使う気か?」
追いかけてきたエレナが、分厚い眼鏡の奥の目を丸くした。
「それは皮がゴムのように厚くて硬いうえに、全身に小骨が複雑に入り組んでいる。ノースヴェイルの料理人たちも扱いあぐねて、港の廃棄物に指定している代物よ」
「皮が厚いということは、ゼラチン質とコラーゲンの宝庫だ。小骨の多さも、骨切りの包丁仕事と熱の通し方次第で完全に解決できる」
レオンは投げ売りされていた大量のウツボを破格の安値ですべて買い取ると、ギドの店の厨房へと運び込ませた。
厨房では、ミルカがすでに大鍋に湯を沸かして待っていた。重いウツボの木箱を一人で軽々と担ぎ込んできたバルトを見て、ミルカが驚きと感心の混じった声を上げる。
「まあ……バルトさん、そんな大きな箱を一度に? 大丈夫ですか?」
「お、おう! こんなのアルティザン号の錨を引き揚げるのに比べたら、綿あめみたいなもんだぜ!」
鼻の下を伸ばしながら胸を張るバルトの姿に、エレナが「あきれた」と言わんばかりにクスリと笑う。しかし、ミルカはそんなバルトの誇らしげな顔を愛おしそうに見つめ、手拭いを差し出した。
「ふふ、頼もしいですね。でも、無理して怪我しないでくださいね?」
「……! あ、ああ! ありがとな、ミルカさん!」
ミルカから手拭いを受け取ったバルトの手が微かに震え、顔が再び熟した熟柿のように真っ赤に染まる。二人の間に流れる暖かな空気を横目に、レオンは静かに包丁を抜いた。
「バルト、浮かれて手元を狂わせるなよ。皮の剥ぎ取りと下処理を手伝え」
「へいっ! がっつり仕込ませてもらいます、シェフ!」
レオンの手元で、研ぎ澄まされた包丁が冴えた音を立てる。硬いウツボの皮に細かな切れ目が刻まれ、熟練の職人技によって小骨が一つ残らず断ち切られていく。
商工ギルドが握る既存の流通に依存せず、捨てられた食材を極上の逸品へと変える、レオンたちの反撃の仕込みが、いま着々と進められていた。




