第27話 街角
ノースヴェイルの市場街路は、早朝から容赦なく吹きつける鉛色の寒風によって、石畳の隅々まで白い氷の膜に覆われていた。
港で凍りついた縄を繰りり寄せ、荒荷の揚げ下ろしを終えた港湾労働者や、ダンジョンから這うようにして帰還した冒険者たちが、かじかんだ両手に白く濁った息を吹きかけながら通りを行き交う。
誰もが防寒着の襟元に首をすくめ、寒さで強張った顔のまま、街角の安屋台で買った薄い湯のようなスープや、石のように固まったパンを淡々と腹に押し込んでいた。
ただ餓死と凍死を免れるためだけの作業、そこに食を楽しむような余裕など微塵も存在しない。
そんな氷点下の街角に、頑丈な木組みの屋台が一台、静かに設営を終えていた。
「バルト、炭の火加減を保て。シェラは皿出しのサポートを頼む」
「おう、任せとけ! 炭はカンカンに熾してあるぜ!」
レオンの短い合図とともに、屋台の中央に備え付けられた特注の炭火台から、重厚なダッチオーブンの鉄蓋が持ち上げられた。
次の瞬間、極寒の空気を引き裂くようにして、香ばしく焦げた発酵バターのアロマと、霜降り茸の濃密なアロマ、そして熟成魚醤を纏った肉汁の湯気が爆発的に立ち上った。
白く巨大な蒸気の塊となって、北風の吹き抜ける通りへとしなやかに広がっていく。
「……ん? な、なんだ……なんだこの香りは……!?」
近くで霜の降りた手足をさすっていた鉱員の男が、鼻をヒクつかせながら弾かれたように足を止めた。通りを往来していた人々が次々と足を止め、吸い寄せられるように屋台の周囲へと群がり始める。
「本日お出しするのは、熱々の『氷鱗茸と大鹿のタルト・サレ』だ。この極寒の中でも固まらない特製ソースをたっぷり回しかけて提供する」
レオンは手際よく包丁を振るい、黄金色に焼き上がった網目模様のパイ包みを切り分けると、分厚い木皿へと手早く盛り付けた。そこに、トカゲの不飽和脂肪酸と茸の軸から取った濃厚な出汁を強力に乳化させた、熱々の極上ソースをたっぷりと回しかける。
湯気とともに立ち上る圧倒的な旨味の匂いに、集まった人々の生唾を呑み込む音が各所で重なった。
「おい、にいちゃん! そのパイをひとつくれ! 銅貨5枚で足りるか!?」
「毎度。中に閉じ込めた熱気がすごいから、火傷しないよう気を付けて食ってくれ」
一番乗りで買い求めた髭面の鉱員が、木皿を受け取るなり、かじかんだ手でパイを掴んで大きく口へと放り込んだ。
ガツッ、サクッ!
極寒の屋外とは思えないほど、軽やかで鮮烈な咀嚼音が周囲の静寂を破る。男の動きが唐突に止まり、見開かれた目が硬直した。
「……な、なんだあこれは……!? 外側の生地は信じられないくらいサックサクなのに、中から熱々の肉汁と茸のタレがどっと溢れてきやがる! 冷たい風に当たってるってのに、生地が一切ベタつかねえぞ!?」
「……う、うまい……! なんだこれ、胃の中に落ちた瞬間から、指先や足の先まで一気に熱いものが巡り始めてやがる……! 体が、体が急に軽くなっていくぞ!」
男の驚愕の叫びに、取り囲んでいた群衆が一斉にどよめいた。
「おい、俺にもくれ!」「私にもひとつ!」「2人分買っていくぞ!」
凍えていたノースヴェイルの街角で、人々の胃袋と魂を内側から劇的に温め直す、熱き一口の饗宴がいま幕を開けた。




