第20話 湯気立つ屋台
ノースヴェイルの市場の端、寒風が吹き抜ける路地の角に、小さな木製の屋台が突如として姿を現した。
大きな鉄鍋からは、白く濃密な湯気がモクモクと立ち上り、氷点下の冷気に乗って香ばしい肉の焦げた匂いとバターの甘い香りが広がる。
「へいらっしゃい! 安くて身体が芯から温まる『大鹿と根菜の濃厚煮込みスープ』だ! 銅貨3枚で腹いっぱい食えるぞ!」
バルトが威勢よく声を張り上げると、寒さに震えながら通りを行き交う鉱員や港の作業員たちが、吸い寄せられるように足を止めた。
「おいおい……銅貨3枚だと? そんな安さでまともな肉が入ってるわけねえだろ。どうせ出汁がらのかさ増しスープじゃねえのか?」
眉をひそめて覗き込んできたのは、昨日レオンにスジ肉と骨を叩き売った肉屋のおやじだった。
「まあ食ってみな、おやじさん。口に合わなきゃ金はいらないよ」
レオンが静かに微笑み、なみなみとスープを注いだ深皿を差し出す。おやじは半信半疑のまま器を受け取り、木スプーンで熱々の具材をすくって口へと放り込んだ。
瞬間、おやじの動きがピタリと止まる。
「な……なんだこれは……!? この柔らかい肉は……まさか、昨日渡したあのガチガチのスジ肉か!? なんでこんなにトロトロで、臭みもエグみもねえんだ!?」
「硬いスジや骨は、煮込み方と隠し味の組み合わせで最高のコラーゲンに化けるんだ。身体を温める効果も、普通の赤身肉よりずっと高い」
おやじの驚愕の声を聞きつけ、周囲を取り囲んでいた労働者たちが我先にと銅貨を差し出し始めた。
「俺にもくれ!」「こっちもだ、器をくれ!」
一杯のスープを飲み干した作業員たちの顔には、あっという間に赤みが差し、かじかんでいた手足に熱が戻っていく。屋台の周りは、熱気と歓声で瞬く間に人だかりとなった。
そんな狂騒の輪から少し離れた場所で、身の丈ほどもある大剣を背負った男が、スープの器を大事そうに両手で抱えながら呟いた。
「……信じられねえな。この寒さで凍りついた胃袋が、内側から溶けていくようだ。これなら……あの『氷鱗洞窟』の深層でも持ちこたえられるかもしれん」
その言葉に、器を回収していたシェラが反応した。
「氷鱗洞窟? この近くにあるダンジョンか?」
毛皮の防寒具を着込んだその冒険者は、スープを喉に流し込み、深く息を吐きながら頷いた。
「ああ。ここから北へ半日ほど進んだ山脈の麓にある、永久凍土のダンジョンだ。中で採れる鉱石や魔獣の素材は高値で売れるんだが、とにかく寒さが尋常じゃねえ。松明の火もすぐ消えるし、携帯食料はカチコチに凍りついて歯が立たなくなる」
男は少し声を潜め、周囲を気にしながら続けた。
「特に三層目から下は地獄だ。だがな……あそこには、氷床の下に自生する『霜降り茸』や、極寒の猛毒を体内に溜め込んだかわりに極上の脂を持つ『氷鱗トカゲ』が棲んでるって話だ。あまりの寒さに誰も満足に調理できず、まともに持ち帰れた奴はいねえがな」
鉄鍋の前に立つレオンの耳に、その言葉がはっきりと届いていた。
凍りつく環境、未知の魔獣、そして極寒の地だからこそ育つ特殊な食材。
レオンは包丁の手を休めることなく、かじかんだ風の中で静かに目を細めた。職人としての知的好奇心が、胸の奥で静かにうずき始めていた。




