第19話 解ける肉
「……おいおい、マジかよ。これ、本当にあのガチガチだったスジ肉なのか?」
木製の重厚なスプーンでスープを掬い上げたバルトが、半信半疑の表情のまま、あつあつの塊を口へと運んだ。
次の瞬間、彼の大きな目が引きつるように見開かれる。
スプーンに乗っていた分厚い肉の塊は、歯を立てて噛み締めるまでも無かった。舌の上に乗せただけで繊維が解け、解けたそばから溢れ出してきたのは、大鹿の濃厚な油脂と、骨の髄からトロリと染み出したコラーゲンの極上の旨味だ。
「うそだろ……! スジ特有の嫌なエグみも臭みも一切ねえ。それになんだこの深みは……! 喉を通った瞬間から、腹の底からカッと熱が湧き上がってくるぞ!」
「次はカブを食べてごらん」
レオンに促され、シェラも琥珀色に染まった大きなカブの切り身を口に含んだ。
「んっ……ふう、あつっ……! ……すごい、中心まで出汁が完全に染み込んでる。カブ自身の力強い甘みと、肉から出た旨味が完璧に合わさって……こんなに深みのあるスープになるなんて」
シェラは口元に手を添え、熱さに息を吹きかけながら、夢中で二口目を口に運んだ。
南国の熱気の中で仕込んできた熟成魚醤が持つ独特の魚臭さは、跡形もなく姿を消している。肉のタンパク質と合わさることで、ただ旨味の輪郭を際立たせる「目立たない土台」として完璧に機能していた。
「この厳しい寒さだ。表面に浮いた発酵バターの薄い油脂の膜が、スープの熱を外に逃がさない蓋の役割を果たしている。だから途中で冷め切ることなく、胃の底から身体をじっくり温め続けてくれるんだ」
レオンは自身の深皿を両手で包み込み、静かにスープを口に含んだ。狙い通りの味覚の構成と熱効率だ。ノースヴェイルの無骨な食材と、サン・ロザリアで培ったアミノ酸の重ね合わせは見事に噛み合っている。
「……なぁ、レオンシェフ。この街の市場で肉屋のおやじが言ってたろ。『スジ肉や骨なんて硬くて食えたもんじゃない』ってさ」
スープを綺麗に飲み干し、ふうと満足げな息を吐いたバルトが、表情を引き締めて切り出した。
「さっき港の酒場で聞いたんだが、このノースヴェイルの鉱員や港の労働者ども、毎日カチカチに乾いた干し肉と塩辛い塩漬け野菜をかじって、強い酒で腹に流し込んでるらしいんだ。寒さと厳しい肉体労働のせいで胃腸が弱り、冬を越せずに体調を崩すやつが後を絶たないんだと」
「高価な赤身肉を日常的に買えるのは、一部の裕福な商人や領主くらいなものか。現場で汗を流す連中は、捨て値で売られている硬い部位しか手に入らない……か」
レオンは薪ストーブの中でパチパチと弾ける薪の音に耳を傾けながら、軽く顎に手を当てた。
捨てられるような安価なスジ肉や骨、泥付きの根菜。それらを正しい火入れと科学的な煮込みのロジックで化けさせることができれば、この極寒の街で働く人々の胃袋と命を、根底から支えることができるはずだ。
「よし。明日はこのスープの仕込みを倍に増やして、市場の片隅で小さな屋台を出す準備をしよう」
「いいな! あのおやじに見せてやろうぜ。ゴミ扱いされてたスジ肉が、どれだけ人を笑顔にする料理に化けるのかをな!」
バルトがニヤリと笑って力強く拳を握りしめ、シェラも口元の汚れを拭いながら不敵に頷いた。
寒冷都市ノースヴェイルの凍てつく街並みに、レオンの温かな料理と職人の知恵が広がり始める第一歩が、いま静かに踏み出されようとしていた。




