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三つ星シェフ、街角の屋台から始める異世界グルメ  作者: Green Rabbit
第二部・世界航海&魔境ダンジョン編
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第14話 知恵と油


 「本当に……魔法の箱がなくても魚が傷まなくなるのか?」


 半信半疑の表情を隠せない屋台のおやじを先頭に、不躾にならないよう恐る恐るタラップを登ってきた漁師たちを、レオンは『アルティザン号』の広い甲板へと招き入れた。


 潮風が通り抜ける甲板の作業台。その上にレオンが並べたのは、特別高価な食材でも何でもない。市場の叩き売りで並ぶような足の早い青魚と、この港街で日常的に使われている安価な植物油、そして粗削りな塩と身近な雑草に近いハーブ類だけだった。


「魔法なんかじゃない。冷やす手段がなかった時代から、人間が生きるために知恵を絞ってきたごく当たり前のやり方だ」


 レオンは調理台の前に立ち、手際よく三枚に下ろした青魚の身をまな板の上に並べた。


「この南国の暑さで魚が腐る一番の原因は、身に含まれる余分な水分と、そこに繁殖する雑菌、そして空気に触れることだ。冷やして菌の動きを止められないなら、塩で水分を抜き、油で空気を完全に遮断してしまえばいい」


 言いながら、レオンは魚の身の表裏へ惜しみなく塩を振りかけていく。


「まずは『塩締め』だ。塩を振って少し置くと、浸透圧の差で身の奥から余分な水分と独特の臭みが表面に押し出されてくる。この水分を布巾で徹底的に拭き取ることが、腐敗を防ぐ最初にして最大の予防策になる」


 雑味が混ざった水分をていねいに拭い去る手元を、作業台を囲んだ漁師たちが息をのんで見つめていた。力任せに身を叩くのではなく、慈しむように水分を取り除く職人の仕草には、それだけで説得力があった。


「次に『コンフィ』……つまり油煮だな。手頃な深鍋にたっぷりの油と、臭み消しのハーブを入れる。ここからが一番重要だ。火加減はごく弱火に留める。油が沸騰してパチパチ音を立てるような温度じゃダメだ。油の底からフツフツと小さな泡がゆっくり立ち上る程度の温度を保つんだ」


 熱した油の中に、塩締めした魚の身が静かに滑り込んでいく。


 強い火で一気に揚げてしまうと、身の水分が跳ねて硬くパサついてしまう。だが、この低温の油の中でじっくりと熱を通していけば、魚自体の水分を中に保持したまま、しっとりとした柔らかな食感を損なわずに加熱殺菌ができる。


「火が通ったら、鍋のまま、あるいは清潔な壺に油ごと移して冷ます。こうして油の膜で身を完全に覆い、空気をシャットアウトしておけば、常温でも格段に長持ちするようになる。それどころか、日を置くごとに油の中で身のタンパク質が分解されて、旨味が熟成していくんだ」


 レオンはあらかじめ昨日から仕込んでおいた、サバのオイル漬けの壺を奥から取り出した。表面を固めた油を軽く押し分け、中から引き上げたサバの身を薄く切り分けて、半信半疑のまま固まっているおやじの手に乗せた。


「まあ、能書きより食べてみるのが一番早い。噛んでみな」


 おやじはおそるおそる指で摘まみ、口の中へ放り込んだ。


 一瞬、甲板を風が吹き抜ける音だけが響く。


 次の瞬間、おやじの目が落ちんばかりに見開かれた。


「な、なんだこれは……!? パサパサ感がどこにもねえ……! しっとり解けて、魚の旨味がぎゅっと詰まってやがる! これがホントに常温で丸一日置いた魚なのか!?」

「おいおいやらせだろ、俺にも食わせろ!」


 我先にと他の漁師たちも切れ端を口へ運ぶ。その途端、甲板のあちこちからどよめきと感嘆の声が上がった。


「うそだろ……ただの安いサバだぞこれ? 臭みどころか、高級店の料理みたいに味が濃くなってやがる……!」

「保冷箱も氷も要らねえってのは、本当だったんだ……!」


 興奮して顔を紅潮させる男たちを見渡し、レオンは静かに微笑んだ。


「道具も魔法も使っちゃいない。港で手に入る塩と油、ハーブと火加減の工夫だけだ。特別なことなんて何一つやってないだろ?」


 作業台を軽く拭き清めながら、レオンは言葉を重ねた。


「今日はオイル漬けを見せたが、次は酢やシトラスの酸を使った締め方や、煙の熱で水分を追い出す燻製のやり方も教えてやる。どれも覚えて帰れば、明日からお前たちの屋台や船ですぐに使える技ばかりだ」

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