罪
私は上を見る。屋根。何の仕業かもわからないが、霊璽がこの上にある、そう思った。上るための道具が必要だ。私は古い記憶を呼び起こす。子供の頃、おじいちゃんは屋根の修理のために上っていた。それには梯子が使われていた。今もこの家のどこかに。…物置。私は物置を静かに探した。猪の対処で気付けなかったが、家のすぐ側に物置小屋があった。木の軋む音を恐れながらもゆっくり開く。すると、扉のすぐ傍に目当ての梯子が立てかけてあった。
私はその梯子を取り出して、屋根にゆっくりと引っ掛けた。コツンッ。私は周囲を見渡す。"腕"には感知されていない。私は梯子に手をかけた。1つずつ乗り上げては辺りを見渡す。心臓はバクバクだった。
ついに屋根に手が届いた。屋根の瓦は滑りやすく、四つん這いで行った。山を超えた時、そして見つけた。霊璽。
「…あった。」
少しずつ霊璽に近付く。指先の後数センチのところ。
建築から何十年も経っていたからなのか、それとも"腕"が暴れたせいなのか、この家の瓦はかなり劣化していた。
ズル…ズルズルズルズル…ダンッ!
私のすぐ隣の瓦が屋根からズレ落ちた。その直後。"腕"が音の根元を辿って私のすぐ横を叩き付けた。勢いで霊璽は屋根から落ちて行く。私は息を殺した。砕け散った瓦の破片を拾い、明後日の方向に投げる。コロンッコロンッカラカラ。"腕"は音のなる方向に向く。
「んっ!」
私は全身の力を使って屋根を駆けた。霊璽の落ちていった方に。そこから飛び降りる。1階建てとは言えここは3メートル以上の高さがあった。着地と同時に膝関節に痛みが走る。
「いっ…。」
痛がっている暇はない。私はすぐに霊璽を拾いに行く。"腕"はもう私を追跡している。静かにしても無駄だった。掃き出し窓から跳ぶように入って、祖霊舎へと向かう。後ろからはもうすでに"腕"が迫って来ていた。私は祖霊舎の中に手を突っ込み、霊璽を立てる。これでどうだ。振り返ると"腕"が目の前まで来ていた。私の頭を掴んで…地面に…。
ドンッ!
「いっ…た…。」
私の頭を潰す直前に"腕"は消えた。軽い脳震盪で、私はしばらく寝返りも出来なかった。頭がぼんやりする。どうやら霊璽を戻すのは正解だったらしい。
回復して来て、私は上体を起こした。祖霊舎を見ると、何事も無かったかのようにそこに佇んでいる。霊璽が置かれた状態で。
…そうだ、鍵は?私は辺りを見渡す。…見つからない。"腕"と一緒に消えた?それは困る。私は立ち上がって鍵を探そうとした。すると、
「…ん?」
ポケットに違和感があった。手を入れて取り出すと、そこには鍵があった。まだ猪の胃の臭いがする。これをあの本殿で使えるかはわからないけど、ひとまず持って行ってみよう。そう思ったが、今の自分の姿が酷いことに気付いた。猪の血が付いた上着と傷だらけの上に土と塵をまとった肌。このまま町を出歩くのは気が引ける。
私は近くの川で体を軽く洗うことにした。祖父母の家からタオルを借りて、体に付いた汚れを水で流す。寒いけど、上着は脱いで家で洗おう。腕の刺し傷が水で沁みる。冷たい水で顔を洗うと思考が流されてすっきりした気分になった。鍵も洗う。臭いは完全に取ることはできなかった。
よし、神社に向かおう。
とりあえず家に帰った私は、上着を洗濯機に突っ込んで血を隠すようにすぐ洗濯した。新しい服に着替えてもう一度家を出る。珠子さんはそんな私を見て、何をしてたのかと問うてきたが適当に誤魔化した。
神社の掃除担当がやって来る時間と被るのは都合が悪いと感じた。昨日掃除担当の男と会った時間帯からずらして星詠神社に向かった。
石段を上って人の所在を確認する。誰もいないことを確認して、本殿の前に立った。ポケットから例の鍵を取り出し、そして本殿の鍵穴に合わせてみる。まるで豆腐に包丁を入れるかのように滑らかに鍵は入った。錠を外してゆっくり戸を開く。そこには様々な神具が入っていた。手入れがされていないようで少し埃っぽかったが、すべてが神々しく見えた。
予想していた通りだった。神鏡がなかった。”おかげで星詠神社の神の怒りを買ってしまった”。正敏さんは記憶でそう言っていた。神鏡が本当になかったことから、あの記憶は本物だと断言できる。神鏡がなくなったせいで、お母さんは死んだ。血縁者や婚姻者、その人に関わりがある人間にこの呪いが伝わるなら、和夫さん、珠子さんや静香ちゃん、私もいつか…。神鏡を探さないと。
「あんた!そこで何をやってんだ!」
怒鳴り声が背後から聞こえて来た。今が掃除担当の時間だったのか、一人の中年の男がいた。
「そこは普通の人が入っていい場所じゃない!」
男はそう言いながら近付いて来る。
「すみません。」
突然、男は足を止めて困惑した。
「…どうやって開けた?」
「鍵を見つけて…あの!」
「…なんだ?」
「神鏡は!?神鏡はどこにあるんですか?!」
「はあ?そんなのそこに…あれ…。」
男が指さす場所に神鏡はない。男は動揺した。
「ないなら知らんぞ。」
”清史郎”。それが神鏡を持ち出した人の名前で、私の父親。
「じゃあ、清史郎って人は知っていますか?!」
知っているはずもないのに聞いてしまった。でも早く神鏡をどうにかしないと。
「そんな奴は知らん。さっきから何なんだ急に。大丈夫か?」
「…いえ、何でもないです。」
「今回は見逃してやるから、次はこんなことするんじゃないぞ。」
「…はい。」
「鍵を渡しなさい。」
私は男に鍵を渡した。
「この鍵はどこに?」
「猪の胃の中です。」
「は?」
私は逃げるようにその場を去った。男は困惑した様子で私の行方を見届けていた。
私は一段ずつ石段を下りて行った。私の父親はどこに行ったのだろう。おそらく神鏡も一緒にあるはず。神鏡がなくなってから10年近く経って、いつ呪いが牙を向くかわからないけど、近頃の霊災の多さから嫌な予感がする。神鏡がすべての元凶とするなら合点がいく。
石段を下りた先には、あの男の霊がいた。下りて来る私を待っていたようだ。
「…あなたなら清史郎さんの場所を知ってるんですか?正敏さん…。」
”正敏さん”はそれを聞くと、私の目の前までゆっくり歩いて来て、指先で私の額をつついた。それと同時に、また日記を見た時のような頭痛が頭に響く。
「この人誰?」
真っ暗な視界の中、お母さんの声が聞こえて来た。
「…。」
「何か言ってよ。」
「言ってどうする?どうせ何言っても無駄だろ。」
次に男の声が聞こえて来た。正敏さんとは別の声。
「はあ?弁解する気もないの?」
「はいはい、不倫ですよ。」
「ふざけないで!あなたのために私がどれだけ…」
「そういうところを言ってんだよ。あれこれ何でもダメって。愛情と言いながら俺を束縛しやがって。俺の自由はどこにあんだよ。」
「あなた、美咲はどうするの?!あの子も裏切るって言うの?!」
「すぐそうやって自分の娘を盾にする癖止めろよ。ただ俺が逃げられないようにするための道具みたいに扱ってさ。もちろん悪いとは思ってるよ。あいつは関係ないしな。」
「…もういい、でもちゃんと養育費は払ってよね。」
「わかってるよ。」
「どうしてあなたを好きになってしまったのかな。」
「知らん。それだけ見る目がないってことだ。次からは気を付けな。あるかはわからねえけど。」
「…早く行って。」
「はいはい。」
真夜中、黒い服と手袋をした誰かの体。懐中電灯一本で石段を上り続ける光景が浮かび上がって来た。先に見えて来たのは神社の本殿、どう見ても星詠神社だった。まるで計画していたかのような手つきでポケットから鍵を取り出して本殿の扉を開いて、真っ先に神鏡の下まで行く。そのまま神鏡を持って神社を去った。
次に見えた場所は…幽宮神社だった。社家がある広場からさらに上の石段を上って行っている。ついた先は、大きな岩だった。その岩にはしめ縄が巻き付けられている。その岩の裏に回って、持っていたスコップで地面を掘り、透明な袋に包んだ神鏡を穴に埋めていた。
どこかの遊園地。天気が良く、青空がよく見えていた。
「ねえパパ、次あれ乗りたい!」
「ん?あーあれか。いいぞ。」
「早く!早く行こ!」
「ちょっとママと待っててくれ。パパトイレしてくるから。」
「わかった!早くしてね!」
「はいはい。」
そう言って男は公衆トイレに入って行った。
「…。」
……
「…。」
「……ァァァァァァァァァァァァァァ…。」
背後から、聞き覚えのある唸り声が聞こえて来た。
「?…だれだ…」
ブチッ…
そうして記憶は途切れた。気付いた時にはもう”正敏さん”の姿はなくなっていた。話の流れが正しいならば、あの体の主は清史郎さん。神鏡を幽宮神社の磐座の傍に埋めた。そこにあるはず。
「神主さん!」
夕方に差し掛かってきたころ。私はすぐに幽宮神社のところへ行った。
「どうしたんや?」
今朝制服を回収して行ったはずの者がすぐに戻って来て困惑したことだろう。
「また何かあったんか?」
「星詠神社の神鏡が磐座にあるんです!」




